ヒキノジンジャ
疋野神社
長者伝説のお宮、御神水湧出中
神社
- 神社
- エリア
- 熊本県玉名市
- 最寄り駅
- JR鹿児島本線 玉名駅 から徒歩15分
疋野神社に行く前にチェック!
◎ 疋野神社は2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です ◎
・疋野神社の創立は景行天皇築紫御巡幸の時より古いと伝えられ、
2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です。
・平安時代の六国史の一つ『続日本後紀』に
「仁明天皇承和7年7月庚子(西暦840年)肥後国玉名郡疋野神社を以って官社に預からしむ」
と官社列格の年月日が銘記されている由緒深い神社「国史現在社」であり
また平安時代の国の法律書『延喜式』の神名帳にも記載されている
いわゆる「式内社」であり、県下でも特に貴重な存在です。
『延喜式』は延長5年(西暦927年)制定され、日本全国で当時すでに存在し
また著名であった神社が、国家守護の神社(官社=官幣社)として記載されています。
・現在熊本県下で宗教法人としての神社数は約1400社程ですが、
式内社は阿蘇地方の阿蘇神社、国造神社、そして玉名地方の疋野神社の三社のみです。
2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です。
・平安時代の六国史の一つ『続日本後紀』に
「仁明天皇承和7年7月庚子(西暦840年)肥後国玉名郡疋野神社を以って官社に預からしむ」
と官社列格の年月日が銘記されている由緒深い神社「国史現在社」であり
また平安時代の国の法律書『延喜式』の神名帳にも記載されている
いわゆる「式内社」であり、県下でも特に貴重な存在です。
『延喜式』は延長5年(西暦927年)制定され、日本全国で当時すでに存在し
また著名であった神社が、国家守護の神社(官社=官幣社)として記載されています。
・現在熊本県下で宗教法人としての神社数は約1400社程ですが、
式内社は阿蘇地方の阿蘇神社、国造神社、そして玉名地方の疋野神社の三社のみです。
◎ すばらしい御社殿と鳥居は文化財としても貴重なものです ◎
・現在の御社殿は、江戸時代初期元禄四年(1691)の約320年前、藩主細川綱利公の御造営で
堂々たる流れ造りの見事な御社殿です。
・二の鳥居は、当時の家老八代城主長岡筑後守の寄進の石鳥居であり、これ程古く、
またがっしりした鳥居は稀有なものです。
・参道正面の一の鳥居は、天をつくような純白の大鳥居で、昭和55年に氏子崇敬者をはじめ
国内外の数千人にのぼる多くの人々の真心により奉納されたものであり、県下にほこる大鳥居です。
また平成24年に建立の北口参道大鳥居は耐候性特殊鉄鋼製の大鳥居で見事な姿で聳えています。
・御社殿のまわりの石造の玉垣には、神社裏手一帯にあった奈良平安時代の玉名郡倉跡の
何百個という礎石が使用されています。
(この地は1300年前に玉名温泉を発見した「疋野長者伝説」の屋敷があったところと伝えられている)
・当神社は、玉名地方を見はらす高台にあり、境内の静寂な御神域には荘厳さがただよい、
また春の桜、秋の紅葉も見事なものであり、参拝の人々の目を楽しませてくれます。
堂々たる流れ造りの見事な御社殿です。
・二の鳥居は、当時の家老八代城主長岡筑後守の寄進の石鳥居であり、これ程古く、
またがっしりした鳥居は稀有なものです。
・参道正面の一の鳥居は、天をつくような純白の大鳥居で、昭和55年に氏子崇敬者をはじめ
国内外の数千人にのぼる多くの人々の真心により奉納されたものであり、県下にほこる大鳥居です。
また平成24年に建立の北口参道大鳥居は耐候性特殊鉄鋼製の大鳥居で見事な姿で聳えています。
・御社殿のまわりの石造の玉垣には、神社裏手一帯にあった奈良平安時代の玉名郡倉跡の
何百個という礎石が使用されています。
(この地は1300年前に玉名温泉を発見した「疋野長者伝説」の屋敷があったところと伝えられている)
・当神社は、玉名地方を見はらす高台にあり、境内の静寂な御神域には荘厳さがただよい、
また春の桜、秋の紅葉も見事なものであり、参拝の人々の目を楽しませてくれます。
疋野長者伝説
千古の昔、都に美しい姫君がおられました。
「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」
との夢を度々みられた姫君は、供を従えはるばると小岱山の麓の疋野の里へやってこられました。
小五郎は驚き、貧しさ故に食べる物もないと断りましたが、
姫君はお告げだからぜひ妻にと申され、また金貨を渡しお米を買ってきて欲しいと頼まれました。
しかたなく出かけた小五郎は、途中飛んできた白さぎに金貨を投げつけました。
傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行きました。
が、暫くすると元気になって飛び去って行きました。
お米を買わずに引き返した小五郎に姫君は
「あれは大切なお金というもので何でも買うことができましたのに」と残念がられました。
「あのようなものは、この山の中に沢山あります」 との返事に、
よく見るとあちこち沢山の金塊が埋もれていました。
こうして、めでたく姫君と夫婦になった小五郎は、疋野長者と呼ばれて大変栄えて幸福に暮らしました。
「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」
との夢を度々みられた姫君は、供を従えはるばると小岱山の麓の疋野の里へやってこられました。
小五郎は驚き、貧しさ故に食べる物もないと断りましたが、
姫君はお告げだからぜひ妻にと申され、また金貨を渡しお米を買ってきて欲しいと頼まれました。
しかたなく出かけた小五郎は、途中飛んできた白さぎに金貨を投げつけました。
傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行きました。
が、暫くすると元気になって飛び去って行きました。
お米を買わずに引き返した小五郎に姫君は
「あれは大切なお金というもので何でも買うことができましたのに」と残念がられました。
「あのようなものは、この山の中に沢山あります」 との返事に、
よく見るとあちこち沢山の金塊が埋もれていました。
こうして、めでたく姫君と夫婦になった小五郎は、疋野長者と呼ばれて大変栄えて幸福に暮らしました。
疋野神社の基本情報
スポット名 | 疋野神社 |
---|---|
TEL | 0968-72-2917 |
FAX | 0968-75-1040 |
住所 |
〒865-0061 熊本県玉名市立願寺460 |
営業日 |
|
HP | http://www.hikino-jinja.jp |