キタグチホングウフジセンゲンジンジャ
北口本宮 冨士浅間神社
吉田登山道の起点に位置する、富士信仰の聖地。豪華絢爛な社殿と樹齢千年以上の神木群は必見。
神社
- 神社
- エリア
- 山梨県富士吉田市
- 最寄り駅
-
富士急行大月線 富士山駅 から車で25分
富士吉田市役所駅 から車で25分
道の駅富士吉田から車で約5分
メッセージ
~由緒~
景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。
初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、のちに富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、天正5年(1533)に登山しています。
富士講は「江戸の八百八町に八百八講あり」といわれるほどに繁栄し強大になり、甲州街道と富士みち(現国道137号線)を通って吉田口(北口)登山道から入山する関東一円、更に北陸や東北、関西にまでも拡大しました。
景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。
初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、のちに富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、天正5年(1533)に登山しています。
富士講は「江戸の八百八町に八百八講あり」といわれるほどに繁栄し強大になり、甲州街道と富士みち(現国道137号線)を通って吉田口(北口)登山道から入山する関東一円、更に北陸や東北、関西にまでも拡大しました。
北口本宮 冨士浅間神社の基本情報
スポット名 | 北口本宮 冨士浅間神社 |
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TEL | 0555-22-0221 |
住所 |
〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田5558 |
営業日 |
|
HP | http://www.sengenjinja.jp/ |
駐車場 | あり |
備考 | ~由緒~ 景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。 初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、のちに富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、天正5年(1533)に登山しています。 富士講は「江戸の八百八町に八百八講あり」といわれるほどに繁栄し強大になり、甲州街道と富士みち(現国道137号線)を通って吉田口(北口)登山道から入山する関東一円、更に北陸や東北、関西にまでも拡大しました。~鎮火祭 「吉田の火祭り」 が重要文化財に指定されました~ 毎年8月26・27日に行われている特殊祭儀「鎮火祭」は「吉田の火祭り」として古くから親しまれ、富士山のお山終いを告げる祭としても知られています。 この度、文化審議会により重要無形民俗文化財に指定されました。 ~富士山について~ 霊峰と称えられる富士のお山は、約10万年前から古富士火山の活動が始まり、長い間の火山活動を経て、約1万年前頃に現在に近い形になりました。広いすそ野から立ち上がる独立峰は、世界でも類を見ない崇高で優美な姿であり、人々に畏怖の念と感動を与えてきました。 平安時代には活発に火山活動を行い、最も近いものでは約300年前の宝永の大噴火(1707)があり、千葉や茨城の方まで広範囲にわたる被害がありました。また雪解け水は、「雪代(ゆきしろ)」と呼ばれる災害をもたらし、麓に暮らす人々に脅威を与えていたため、富士は荒ぶる山として怖れられていました。 しかし火山活動の結果、広大な富士山原始林や、質量ともに世界一と言われる溶岩洞穴群や溶岩樹型群が形成され、また富士山の伏流水は麓で湧き水となり、河川や湖を作り、その中で多様な動植物を育み、大きな恵みをもたらしています。 畏怖の念、「恐れ」には、神々しい美しさや尊さなど人知を超えたものに対する敬意も含まれ、転じて強い憧れともなります。富士山にもこのような際立った自然的な特徴があったからこそ、古くから信仰の対象となり「霊峰」と称えられ、自然崇拝・山岳信仰に直接関連する信仰の山、その代表的な山となったのです。 |