イクタジンジャ
生田神社
神仏霊場兵庫一番
神社
- 神社
- エリア
- 兵庫県神戸市中央区
近年では男女のカップルが一緒にお詣りし縁結びを願い、男性は白、女性は赤をそれぞれ受けると、二人は結ばれるという噂が広がり近畿圏はもとより遠方からの問い合わせも多数あります。
また、松尾神社にある杉の木に向かい、静かに心を落ち着けて恋愛成就の願いごとをすると願いが叶うと言い伝えられています。
また、松尾神社にある杉の木に向かい、静かに心を落ち着けて恋愛成就の願いごとをすると願いが叶うと言い伝えられています。
メッセージ
生田神社の御創建は神功皇后(じんぐうこうごう)元年(西暦201年)と日本書紀に記されており、「『日本書紀』神功皇后条巻第9(神功皇后摂政元年2月)」に下記のように記されています。
「吾は活田長峡国(いくたながをのくに)に居らむとす」とのたまふ。
因りて海上五十狭茅(うなかみのいさち)を以て祭(いわ)はしむ。
神功皇后が海外外征の帰途、今の神戸港にてお船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れられ、「私は活田長狭国に居りたい」と申されたので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたと伝えられます。
同じくこの時に、天照大神の荒魂(あらみたま)が西宮市の広田神社に、事代主神(ことしろぬしのかみ)が神戸市長田区の長田神社にお祀りされたと伝えられています。
「吾は活田長峡国(いくたながをのくに)に居らむとす」とのたまふ。
因りて海上五十狭茅(うなかみのいさち)を以て祭(いわ)はしむ。
神功皇后が海外外征の帰途、今の神戸港にてお船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れられ、「私は活田長狭国に居りたい」と申されたので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたと伝えられます。
同じくこの時に、天照大神の荒魂(あらみたま)が西宮市の広田神社に、事代主神(ことしろぬしのかみ)が神戸市長田区の長田神社にお祀りされたと伝えられています。
生田神社の基本情報
スポット名 | 生田神社 |
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TEL | 078-321-3851 |
FAX | 078-321-3853 |
住所 |
〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通1-2-1 |
営業日 |
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HP | http://www.ikutajinja.or.jp/ |
備考 | 生田神社の御創建は神功皇后(じんぐうこうごう)元年(西暦201年)と日本書紀に記されており、「『日本書紀』神功皇后条巻第9(神功皇后摂政元年2月)」に下記のように記されています。 「吾は活田長峡国(いくたながをのくに)に居らむとす」とのたまふ。 因りて海上五十狭茅(うなかみのいさち)を以て祭(いわ)はしむ。 神功皇后が海外外征の帰途、今の神戸港にてお船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れられ、「私は活田長狭国に居りたい」と申されたので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたと伝えられます。 同じくこの時に、天照大神の荒魂(あらみたま)が西宮市の広田神社に、事代主神(ことしろぬしのかみ)が神戸市長田区の長田神社にお祀りされたと伝えられています。神社、寺院の封戸について列記した平安時代の法制書である『新抄格勅符抄』(しんしょうきゃくちょくふしょう)という書物に、大同元年(西暦806年)に、神社に奉仕する封戸(ふこ)である神戸(かんべ)44戸が朝廷より与えられたと記されており、それが「かんべ」→「こんべ」→「こうべ」と変わり、現在の神戸(こうべ)という地名の語源になったといわれています。 また延喜式には、各地より集まった稲を使い、生田神社の境内で神職が酒造りをして、国賓として朝鮮半島からの要人を迎えた際に振る舞ったとあり、灘の酒造りの起源とも伝えられています。 |