ジンソウザン ホウトウジ

深草山 宝塔寺

源氏物語にも登場、藤原氏が創建した極楽寺が前身。
寺院
  • 仏教寺院
エリア
京都府京都市伏見区
最寄り駅
京阪 深草駅 東口から徒歩10分少々
JR 稲荷駅 から徒歩10分少々
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【伽藍・境内】
・本堂:1608年(慶長13年)建立
・多宝塔:室町時代建立
・四脚門:室町時代建立
・仁王門:1711年(宝永8年)再建
・七面堂:1666年(寛文6年)に勧請された。
・三十番神堂
・千仏堂
【塔頭】
・大雲寺(西之大坊):天文5年(1536年)建立
・自得院:文禄3年(1594年)開創
・圓妙院:慶長2年(1597年)建立
・直勝寺:慶安4年(1648年)創建
・慈雲院:明暦3年(1657年)創建
・玉泉院:慈雲院に合併された
【文化財】 重要文化財(国指定)
・多宝塔
・四脚門(総門)
・本堂
メッセージ
宝塔寺(ほうとうじ) 通称:七面山 (しちめんさん)

 宝塔寺の起源は古く、平安時代に関白藤原基経(もとつね)(昭宣公)の発願により創建された極楽寺が前身となる。当時の極楽寺は、稲荷山の南嶺に続く丘陵地一帯を寺領とした大寺であったが、その後、衰微した。鎌倉後期、京都で布教活動を行っていた日蓮宗の僧、日像(にちぞう)上人が、極楽寺住職の良桂(りょうけい)と出会い数日に渡り法論。良桂は日像に感服し日蓮宗に改宗、日像を極楽寺の開祖として迎えた。日像の死後、遺言により遺体を極楽寺で荼毘(火葬)し廟所を設け、寺号も鶴林院、その後、宝塔寺へと改めた。
 往時の極楽寺を偲ぶ遺跡としては、総門左側の石枠に囲まれた「極楽寺礎石」が残されているのみである。総門から続く参道の左手には日像の「荼毘処」の碑、本堂の裏山手には日像の廟所がある。宝塔寺は天文の法難などで荒廃したが、天正18年(1590)に住職となった第8世日銀が再興し現在に至っている。

 宝塔寺は、伏見稲荷大社から南に、石峰寺を経て徒歩15分ほどのところ。京阪電車「深草駅」から歩いても10分ほどの距離で、稲荷山の南に続く七面山中腹にある。総門前の横に枝を張り出した一本の松の木が目印。観光寺院ではないので境内は静か、自由に拝観できる。総門(重要文化財・室町中期建立)を潜ると、一直線のなだらかな石畳の参道が仁王門まで続く。参道両側に塔頭が建ち並び、その塔頭の白塀と手入れされた植栽が美しく、度々時代劇の撮影現場となっているとか。仁王門は近年修復されていることで、艶やかな朱。中央に橘紋を描いた赤い提灯が吊下がり、頭上の天井板約250枚の一枚一枚には色鮮やかな牡丹の花が描かれている。正面が本堂(重要文化財)で、江戸初期の慶長13年(1608)の創建。入母屋造で七間四方、三間向拝を付した京都の日蓮宗本堂では最古層に属する。本堂には、本尊の釈迦如来と、左右に日蓮・日像の両木像を安置する。
 本堂南側の多宝塔(重要文化財)は永享10年(1438)以前に建立されており、市内に現存する最古の木造多宝塔といわれる。その一層目は行基(ぎょうき)葺きという、国内でも数例しか見られない特殊な葺き方がされている。
 多宝塔横の石段を登っていくと日像上人廟に至る。墓石には上人自筆の題目が刻まれている(非公開)。さらに石段を登っていくと、宝塔寺の鏡守社「七面堂」に行き着く。寛文6年(1666)に勧請されたもので、法華経守護の吉祥天である七面天女(七面大明神)を祀る。総門からここまでゆるやかな石段を約15分ほど。地元の人たちにとって、絶好の散歩コースにもなっている。
 

深草山 宝塔寺の基本情報

スポット名 深草山 宝塔寺
TEL 075-641-1859
住所 〒612-0885
京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町32
営業日
拝観時間:
境内自由(建物内は不可)
定休日:
年中無休
備考 宝塔寺(ほうとうじ) 通称:七面山 (しちめんさん)

 宝塔寺の起源は古く、平安時代に関白藤原基経(もとつね)(昭宣公)の発願により創建された極楽寺が前身となる。当時の極楽寺は、稲荷山の南嶺に続く丘陵地一帯を寺領とした大寺であったが、その後、衰微した。鎌倉後期、京都で布教活動を行っていた日蓮宗の僧、日像(にちぞう)上人が、極楽寺住職の良桂(りょうけい)と出会い数日に渡り法論。良桂は日像に感服し日蓮宗に改宗、日像を極楽寺の開祖として迎えた。日像の死後、遺言により遺体を極楽寺で荼毘(火葬)し廟所を設け、寺号も鶴林院、その後、宝塔寺へと改めた。
 往時の極楽寺を偲ぶ遺跡としては、総門左側の石枠に囲まれた「極楽寺礎石」が残されているのみである。総門から続く参道の左手には日像の「荼毘処」の碑、本堂の裏山手には日像の廟所がある。宝塔寺は天文の法難などで荒廃したが、天正18年(1590)に住職となった第8世日銀が再興し現在に至っている。

 宝塔寺は、伏見稲荷大社から南に、石峰寺を経て徒歩15分ほどのところ。京阪電車「深草駅」から歩いても10分ほどの距離で、稲荷山の南に続く七面山中腹にある。総門前の横に枝を張り出した一本の松の木が目印。観光寺院ではないので境内は静か、自由に拝観できる。総門(重要文化財・室町中期建立)を潜ると、一直線のなだらかな石畳の参道が仁王門まで続く。参道両側に塔頭が建ち並び、その塔頭の白塀と手入れされた植栽が美しく、度々時代劇の撮影現場となっているとか。仁王門は近年修復されていることで、艶やかな朱。中央に橘紋を描いた赤い提灯が吊下がり、頭上の天井板約250枚の一枚一枚には色鮮やかな牡丹の花が描かれている。正面が本堂(重要文化財)で、江戸初期の慶長13年(1608)の創建。入母屋造で七間四方、三間向拝を付した京都の日蓮宗本堂では最古層に属する。本堂には、本尊の釈迦如来と、左右に日蓮・日像の両木像を安置する。
 本堂南側の多宝塔(重要文化財)は永享10年(1438)以前に建立されており、市内に現存する最古の木造多宝塔といわれる。その一層目は行基(ぎょうき)葺きという、国内でも数例しか見られない特殊な葺き方がされている。
 多宝塔横の石段を登っていくと日像上人廟に至る。墓石には上人自筆の題目が刻まれている(非公開)。さらに石段を登っていくと、宝塔寺の鏡守社「七面堂」に行き着く。寛文6年(1666)に勧請されたもので、法華経守護の吉祥天である七面天女(七面大明神)を祀る。総門からここまでゆるやかな石段を約15分ほど。地元の人たちにとって、絶好の散歩コースにもなっている。
 
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