トウエンザンナナツデラ
稲園山七寺
国重要文化財 名古屋市中区にある真言宗智山派の寺院です
寺院
- 仏教寺院
- エリア
- 愛知県名古屋市中区
- 最寄り駅
-
名古屋地下鉄鶴舞線 大須観音駅 2番出口から徒歩3分
名古屋地下鉄鶴舞線・名城線 上前津駅 6番出口から徒歩5分
稲園山七寺に行く前にチェック!
メッセージ
名古屋市の七寺は大須観音の東南にあり、江戸時代までは境内を接していた大寺であった。戦災により本尊や三重塔などを焼失し、今では庫裏と小さなお堂と残すのみとなっている。しかしこの寺の歴史は古く奈良時代の天平七年(735)、僧行基によって開創された。
もともとこの地にあったわけではなく西の甚目寺町萱津に建てられ、その後稲沢市七ツ寺町に移し、最終的には慶長十六年(1611)の秋に徳川家康の命により現在の地に移り七堂伽藍をもつ大寺となった。
七寺の阿弥陀三尊は仁平年間(藤原末期1151~1154)頃の作で、昭和20年3月19日、太平洋戦争の戦火によって七堂伽藍の全てと中尊の阿弥陀如来坐像は焼失。現在は脇侍の観音菩薩と勢至菩薩が残る。仏像の玉眼嵌入は鎌倉時代からとされるが、奈良長岳寺の阿弥陀三尊像や、この両菩薩のように藤原末期の作にも見られる。これは、平安貴族の世が終末をむかえ、これから来る鎌倉武士が権力を握る新たな歴史の過渡期を物語る。
もともとこの地にあったわけではなく西の甚目寺町萱津に建てられ、その後稲沢市七ツ寺町に移し、最終的には慶長十六年(1611)の秋に徳川家康の命により現在の地に移り七堂伽藍をもつ大寺となった。
七寺の阿弥陀三尊は仁平年間(藤原末期1151~1154)頃の作で、昭和20年3月19日、太平洋戦争の戦火によって七堂伽藍の全てと中尊の阿弥陀如来坐像は焼失。現在は脇侍の観音菩薩と勢至菩薩が残る。仏像の玉眼嵌入は鎌倉時代からとされるが、奈良長岳寺の阿弥陀三尊像や、この両菩薩のように藤原末期の作にも見られる。これは、平安貴族の世が終末をむかえ、これから来る鎌倉武士が権力を握る新たな歴史の過渡期を物語る。
稲園山七寺の基本情報
スポット名 | 稲園山七寺 |
---|---|
TEL | 052-231-1715 |
住所 |
〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須2-28-5 |
営業日 |
|
HP | http://butsuzoworld.com/aichi_area/pg330.html |
駐車場 | あり |
備考 | 名古屋市の七寺は大須観音の東南にあり、江戸時代までは境内を接していた大寺であった。戦災により本尊や三重塔などを焼失し、今では庫裏と小さなお堂と残すのみとなっている。しかしこの寺の歴史は古く奈良時代の天平七年(735)、僧行基によって開創された。 もともとこの地にあったわけではなく西の甚目寺町萱津に建てられ、その後稲沢市七ツ寺町に移し、最終的には慶長十六年(1611)の秋に徳川家康の命により現在の地に移り七堂伽藍をもつ大寺となった。 七寺の阿弥陀三尊は仁平年間(藤原末期1151~1154)頃の作で、昭和20年3月19日、太平洋戦争の戦火によって七堂伽藍の全てと中尊の阿弥陀如来坐像は焼失。現在は脇侍の観音菩薩と勢至菩薩が残る。仏像の玉眼嵌入は鎌倉時代からとされるが、奈良長岳寺の阿弥陀三尊像や、この両菩薩のように藤原末期の作にも見られる。これは、平安貴族の世が終末をむかえ、これから来る鎌倉武士が権力を握る新たな歴史の過渡期を物語る。■宗派 真言宗智山派 ■札所 東海三十六不動尊第9番札所 名古屋二十一大師第2番札所 ■本尊 阿弥陀如来坐像(1945年焼失) ■その他の仏像 観音菩薩坐像、、平安時代藤原末期、檜材寄木造、漆箔、玉眼、高さ137.8cm、国重要文化財 勢至菩薩坐像、平安時代藤原末期、檜材寄木造、漆箔、玉眼、高さ137.8cm、国重要文化財 |