ダイレンジ
大蓮寺
安産祈願の寺 洛陽八番観音霊場 走り坊さんの寺
寺院
- 仏教寺院
- エリア
- 京都府京都市左京区
- 最寄り駅
- 京阪本線 三条駅 徒歩15分
大蓮寺に行く前にチェック!
走り坊さん
1872年(明治5年)11月20日- 1918年(大正7年)11月20日)
今のような交通が無かった時代、身重な妊婦さんに御守を届けるため、檀家さんの住職の言付けを届けるため。
坊主頭の法衣姿に「大蓮寺」と書いた頭陀袋を持ち、雨の日も風の日も京都の町中を走ったことから(1日60km)、人呼んで「走り坊さん」
現在では、足腰が健康で長生きをするため市民ランナーのために、「走り坊さん」の足腰健常の御守をお授けしています。
今のような交通が無かった時代、身重な妊婦さんに御守を届けるため、檀家さんの住職の言付けを届けるため。
坊主頭の法衣姿に「大蓮寺」と書いた頭陀袋を持ち、雨の日も風の日も京都の町中を走ったことから(1日60km)、人呼んで「走り坊さん」
現在では、足腰が健康で長生きをするため市民ランナーのために、「走り坊さん」の足腰健常の御守をお授けしています。
メッセージ
安産の寺
洛陽三十三所観音霊場八番札所
走り坊さんの寺
ー大蓮寺安産阿弥陀如来縁起ー
本堂には、慈覚大師の作と言われる端整な阿弥陀如来像があります。
この阿弥陀様に「安産の寺」の由来があります。
慈覚大師は晩年、比叡山の念仏堂にこもり、念仏三昧に修行し、最後に阿弥陀如来を彫りました。仕上げに掛かっていると、夢の中で阿弥陀如来が「比叡山から京都へ下りて、女人の厄難(お産の苦しみ)を救いたい」とお告げになりました。
お告げに従い、女人禁制だった比叡山を下りて、真如堂に安置されると、たちまち京都の女性たちから圧倒的な信仰を集めるようになり、阿弥陀如来のお告げ通り、多くの女性たちの出産の苦しみを救われました。
時代が流れ、応仁の乱で真如堂は荒廃し、阿弥陀様は行方知れずになりました。
後に大蓮寺開山の深誉上人が伏見の町を歩いていると、一軒の荒れたお堂に光まばゆい阿弥陀如来がありました。
誰もこの阿弥陀如来をお守りしている気配のないことに心を痛めた上人は、慶長五年(1600)に大蓮寺を建立し、この阿弥陀如来を安置しました。
一方、真如堂は元禄年間の頃に復興し、失った阿弥陀如来を探し始めました。
やがて大蓮寺の阿弥陀如来がかつての真如堂の本尊であることが分かりました。
幕府から阿弥陀様を真如堂へ返還するように命じられた上人は、21日間、念仏を称え続けました。
すると成満の21日目の朝、驚いたことに阿弥陀如来像が二体に分かれたのです。結局、大蓮寺と真如堂で一体ずつ安置する事になり、現在迄伝えられています。
以降、後光明天皇の勅願所となり、古くより京都の人をはじめ、多くの方々に信仰されてきました。
当山では、祈願いたしましたお守りを毎日授与しております。
※安産祈願にこられる場合は、毎日受付けていますが一応前もって電話予約をしてください。
祈願料 5000円(帯付写真上)
3000円(帯なし)
ご予約:大蓮寺 安産祈願係 TEL 075-761-0077
詳細はホームページから
洛陽三十三所観音霊場八番札所
走り坊さんの寺
ー大蓮寺安産阿弥陀如来縁起ー
本堂には、慈覚大師の作と言われる端整な阿弥陀如来像があります。
この阿弥陀様に「安産の寺」の由来があります。
慈覚大師は晩年、比叡山の念仏堂にこもり、念仏三昧に修行し、最後に阿弥陀如来を彫りました。仕上げに掛かっていると、夢の中で阿弥陀如来が「比叡山から京都へ下りて、女人の厄難(お産の苦しみ)を救いたい」とお告げになりました。
お告げに従い、女人禁制だった比叡山を下りて、真如堂に安置されると、たちまち京都の女性たちから圧倒的な信仰を集めるようになり、阿弥陀如来のお告げ通り、多くの女性たちの出産の苦しみを救われました。
時代が流れ、応仁の乱で真如堂は荒廃し、阿弥陀様は行方知れずになりました。
後に大蓮寺開山の深誉上人が伏見の町を歩いていると、一軒の荒れたお堂に光まばゆい阿弥陀如来がありました。
誰もこの阿弥陀如来をお守りしている気配のないことに心を痛めた上人は、慶長五年(1600)に大蓮寺を建立し、この阿弥陀如来を安置しました。
一方、真如堂は元禄年間の頃に復興し、失った阿弥陀如来を探し始めました。
やがて大蓮寺の阿弥陀如来がかつての真如堂の本尊であることが分かりました。
幕府から阿弥陀様を真如堂へ返還するように命じられた上人は、21日間、念仏を称え続けました。
すると成満の21日目の朝、驚いたことに阿弥陀如来像が二体に分かれたのです。結局、大蓮寺と真如堂で一体ずつ安置する事になり、現在迄伝えられています。
以降、後光明天皇の勅願所となり、古くより京都の人をはじめ、多くの方々に信仰されてきました。
当山では、祈願いたしましたお守りを毎日授与しております。
※安産祈願にこられる場合は、毎日受付けていますが一応前もって電話予約をしてください。
祈願料 5000円(帯付写真上)
3000円(帯なし)
ご予約:大蓮寺 安産祈願係 TEL 075-761-0077
詳細はホームページから
大蓮寺の基本情報
スポット名 | 大蓮寺 |
---|---|
TEL | 075-771-0944 |
住所 |
〒606-8353 京都府京都市左京区左京区西寺町二条下正往寺457 |
営業日 |
|
HP | http://www.anzan-no-tera.jp/ |
駐車場 | あり 4台 |
備考 | 安産の寺 洛陽三十三所観音霊場八番札所 走り坊さんの寺 ー大蓮寺安産阿弥陀如来縁起ー 本堂には、慈覚大師の作と言われる端整な阿弥陀如来像があります。 この阿弥陀様に「安産の寺」の由来があります。 慈覚大師は晩年、比叡山の念仏堂にこもり、念仏三昧に修行し、最後に阿弥陀如来を彫りました。仕上げに掛かっていると、夢の中で阿弥陀如来が「比叡山から京都へ下りて、女人の厄難(お産の苦しみ)を救いたい」とお告げになりました。 お告げに従い、女人禁制だった比叡山を下りて、真如堂に安置されると、たちまち京都の女性たちから圧倒的な信仰を集めるようになり、阿弥陀如来のお告げ通り、多くの女性たちの出産の苦しみを救われました。 時代が流れ、応仁の乱で真如堂は荒廃し、阿弥陀様は行方知れずになりました。 後に大蓮寺開山の深誉上人が伏見の町を歩いていると、一軒の荒れたお堂に光まばゆい阿弥陀如来がありました。 誰もこの阿弥陀如来をお守りしている気配のないことに心を痛めた上人は、慶長五年(1600)に大蓮寺を建立し、この阿弥陀如来を安置しました。 一方、真如堂は元禄年間の頃に復興し、失った阿弥陀如来を探し始めました。 やがて大蓮寺の阿弥陀如来がかつての真如堂の本尊であることが分かりました。 幕府から阿弥陀様を真如堂へ返還するように命じられた上人は、21日間、念仏を称え続けました。 すると成満の21日目の朝、驚いたことに阿弥陀如来像が二体に分かれたのです。結局、大蓮寺と真如堂で一体ずつ安置する事になり、現在迄伝えられています。 以降、後光明天皇の勅願所となり、古くより京都の人をはじめ、多くの方々に信仰されてきました。 当山では、祈願いたしましたお守りを毎日授与しております。 ※安産祈願にこられる場合は、毎日受付けていますが一応前もって電話予約をしてください。 祈願料 5000円(帯付写真上) 3000円(帯なし) ご予約:大蓮寺 安産祈願係 TEL 075-761-0077 詳細はホームページから |