ジケイカイホンブ
慈恵会本部
あなたが選ぶ、介護のカタチ。
介護・福祉
- ヘルパーサービス
- デイケアサービス
- エリア
- 岐阜県美濃加茂市
- 最寄り駅
- JR 高山本線 古井駅 から車で13分
慈恵会本部に行く前にチェック!
メッセージ
〇理事長あいさつ
社会福祉法人慈恵会
理事長 山田實紘
私は脳神経外科医として数多くの手術に携わってきましたが、その中でリハビリテーションの必要性を痛感してきました。術後、障害が残った患者さまへ適切な対応ができるよう、昭和58年にリハビリテーションセンターを設立し、患者様の社会復帰に努めてきました。しかし、その取り組みにおいて、厳しい現実に直面しました。リハビリテーションで、ある程度身体的に回復した患者さまに退院していただくにあたり、患者さまと家族をまえにして「そろそろ家に帰れますよ」とお話をしたところ、患者さまは涙をポロポロ流し始めたのです。はじめは、嬉し涙と思っていましたが、後から家族の方から「家に帰さないでください。」と頼まれました。その時初めて私は患者さまの涙が「家に帰れば家族に迷惑をかける。助からなければよかった。」という悲しく、辛い涙である事を理解したのです。
そのような場面に何度も遭遇するうちに、障害のある方でも楽しく生活できる地域・社会を作らなければならないと痛感し、思い浮かんだのがアメリカのナーシングホームでした。「それなら日本には特別養護老人ホームがある」と数多くの特養を見学しましたが、その当時の特養といえばアメリカのナーシングホームとはほど遠いものでした。そこで私は自分の理想とするナーシングホーム的な特別養護老人ホームを創りたいと決意し、その一歩として昭和62年に社会福祉法人慈恵会を設立し、翌年特別養護老人ホーム「さわやかナーシングビラ」を開設したのです。
このように、地域社会がどうあるべきかを常に考え、無心で社会福祉事業の展開に取り組んできた結果、現在では数多くの施設・在宅サービスを提供できるようになりました。私達、社会福祉法人慈恵会はこれからも地域の皆様に望まれるサービスを考え、先進的な事業に取り組むべく一心に努力してまいります。
社会福祉法人慈恵会
理事長 山田實紘
私は脳神経外科医として数多くの手術に携わってきましたが、その中でリハビリテーションの必要性を痛感してきました。術後、障害が残った患者さまへ適切な対応ができるよう、昭和58年にリハビリテーションセンターを設立し、患者様の社会復帰に努めてきました。しかし、その取り組みにおいて、厳しい現実に直面しました。リハビリテーションで、ある程度身体的に回復した患者さまに退院していただくにあたり、患者さまと家族をまえにして「そろそろ家に帰れますよ」とお話をしたところ、患者さまは涙をポロポロ流し始めたのです。はじめは、嬉し涙と思っていましたが、後から家族の方から「家に帰さないでください。」と頼まれました。その時初めて私は患者さまの涙が「家に帰れば家族に迷惑をかける。助からなければよかった。」という悲しく、辛い涙である事を理解したのです。
そのような場面に何度も遭遇するうちに、障害のある方でも楽しく生活できる地域・社会を作らなければならないと痛感し、思い浮かんだのがアメリカのナーシングホームでした。「それなら日本には特別養護老人ホームがある」と数多くの特養を見学しましたが、その当時の特養といえばアメリカのナーシングホームとはほど遠いものでした。そこで私は自分の理想とするナーシングホーム的な特別養護老人ホームを創りたいと決意し、その一歩として昭和62年に社会福祉法人慈恵会を設立し、翌年特別養護老人ホーム「さわやかナーシングビラ」を開設したのです。
このように、地域社会がどうあるべきかを常に考え、無心で社会福祉事業の展開に取り組んできた結果、現在では数多くの施設・在宅サービスを提供できるようになりました。私達、社会福祉法人慈恵会はこれからも地域の皆様に望まれるサービスを考え、先進的な事業に取り組むべく一心に努力してまいります。
慈恵会本部の基本情報
スポット名 | 慈恵会本部 |
---|---|
TEL | 0574-25-9790 |
FAX | 0574-25-9977 |
住所 |
〒505-0011 岐阜県美濃加茂市下米田町東栃井81-2 |
営業日 |
|
HP | http://www.jikeikai-sawayaka.jp |
駐車場 | あり |
備考 | 〇理事長あいさつ 社会福祉法人慈恵会 理事長 山田實紘 私は脳神経外科医として数多くの手術に携わってきましたが、その中でリハビリテーションの必要性を痛感してきました。術後、障害が残った患者さまへ適切な対応ができるよう、昭和58年にリハビリテーションセンターを設立し、患者様の社会復帰に努めてきました。しかし、その取り組みにおいて、厳しい現実に直面しました。リハビリテーションで、ある程度身体的に回復した患者さまに退院していただくにあたり、患者さまと家族をまえにして「そろそろ家に帰れますよ」とお話をしたところ、患者さまは涙をポロポロ流し始めたのです。はじめは、嬉し涙と思っていましたが、後から家族の方から「家に帰さないでください。」と頼まれました。その時初めて私は患者さまの涙が「家に帰れば家族に迷惑をかける。助からなければよかった。」という悲しく、辛い涙である事を理解したのです。 そのような場面に何度も遭遇するうちに、障害のある方でも楽しく生活できる地域・社会を作らなければならないと痛感し、思い浮かんだのがアメリカのナーシングホームでした。「それなら日本には特別養護老人ホームがある」と数多くの特養を見学しましたが、その当時の特養といえばアメリカのナーシングホームとはほど遠いものでした。そこで私は自分の理想とするナーシングホーム的な特別養護老人ホームを創りたいと決意し、その一歩として昭和62年に社会福祉法人慈恵会を設立し、翌年特別養護老人ホーム「さわやかナーシングビラ」を開設したのです。 このように、地域社会がどうあるべきかを常に考え、無心で社会福祉事業の展開に取り組んできた結果、現在では数多くの施設・在宅サービスを提供できるようになりました。私達、社会福祉法人慈恵会はこれからも地域の皆様に望まれるサービスを考え、先進的な事業に取り組むべく一心に努力してまいります。〇社会福祉法人慈恵会の理念 利用者の立場に立った保健福祉サービス、地域に対する専門知識技術の提供 1.個人の尊厳を尊重し、個々に適した自立支援を目指す。 2.相手の立場に立ち、思いやりの心で満足されるサービスを提供する。 3.専門職集団として、常に資質向上と自己研鑽に励む。 4.保健・医療・福祉の総合ネットワークを構築する。 5.常に地域の求めるサービスを提供する。 |