キョウトハリストスセイキョウカイ

京都ハリストス正教会

伝統あるオーソドックス・正教会の魅力・神秘を体験しましょう
教会
  • 教会
  • キリスト教会
エリア
京都府京都市中京区
最寄り駅
京都地下鉄烏丸線 烏丸御池駅 から徒歩12分
京都地下鉄東西線 京都市役所前駅 から徒歩12分
京都地下鉄烏丸線 丸太町駅 から徒歩12分
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ハリストス正教会とは? 
正教会とは、キリスト教誕生の地 エルサレムから発展した教会で、ヨーロッパ、北アフリカ、中近東、ロシア等をへて、世界に宣教され広まりました。
正教会とローマ・カトリック教会は、歴史的・文化的、信仰上の理由で分離しました。1054年頃の出来事は「東西両教会の分裂」として世界史で有名です。
 一般には正教会を「東方教会」、カトリックを「西方教会」といいます。しばしばカトリックを旧教というとき、プロテスタントは新教と呼ばれています。
 正教会は現在では、アジア、オーストラリア(オセアニア)、アメリカなどにも広まり、約3億人の信徒(ハリスティアニン)がいます。

 「イイスス・ハリストス」とは「イエス・キリスト」の名前を、ギリシャ語・スラブ語(古ロシア語)から翻訳した邦訳名です。

 わたしたちの教会は、ギリシャ正教、ロシア正教、東方正教会とも呼ばれています。
メッセージ
京都府での正教伝道は、徳島に派遣されていた丹後地方間人(たいざ)出身のパウェル中小路伝教者が帰省中に間人や峰山で公開説教を行った明治13年にさかのぼる。
 京都市内では、同22年に市の中心部「押小路通高倉西入る」に講義所を設立。
キリル笹葉政吉が専任伝教者として派遣され、大阪正教会管轄司祭イオアン小野荘五郎の臨時管轄下で伝道活動が開始された。
 翌23年から26年までは、ロシア人修道司祭セルギイ(・ストラゴロドスキイ。後のロシア総主教。
 日本では掌院セルギイ「北海道巡回記」著者としても著名)が20歳代半ばの3年間京都での牧会にあたっている。
 同27年に着任したシメオン三井道郎管轄時代、同30年に現在の境内地「柳馬場通二条上る(やなぎのばんばどおりにじょうあがる)」の京都能楽堂跡地を購入。
 同34年12月には京都府技師松室重光の設計監督になる現在の聖堂、生神女福音(しょうしんじょふくいん=受胎告知)聖堂が完成。
同36年5月ニコライ主教の司祷により成聖された。
 当初は寮制の京都正教女学校も敷地内に併設され、東京からナデジタ高橋五子(いね)が舎監として派遣された。同39年にはアンドロニク(・ニコリスキイ。主教としての駐日期間は3ヶ月のみ)が、ニコライ主教の補佐として「京都の主教」に叙聖された。
(アンドロニクは、ロシア革命戦火の只中1918年に共産軍兵士に処刑された。
2000年、ロシア正教会はアンドロニクを「神品致命者」として聖人に列した。)
 明治41年に来日しニコライ主教就寝後、日本正教会の首座主教となったセルギイ(・チホミロフ)も、名目的なものとはいえ、はじめは「京都の主教」の肩書であった。
アンドレイ目時金吾管轄時代を経て、昭和7年着任したヴィッサリオン高橋長七管轄時代は、第二次世界大戦前後の困難な時代だった。戦火を免れながらも、大戦末期に聖堂が「建物疎開」の命令を受けて取り壊し寸前となったが、終戦により幸いにも取り壊しを免れた。
 他の歴代管轄司祭は、グリゴリイ内藤三雄師、ワシリイ酒井満師、イアコフ日比義夫師、マルコ小池祐幸師、イオアン小野貞治師ら。
 同61年には京都市より有形文化財に指定され、翌62年には聖堂銅板屋根全面改修をはじめとした大規模な修復工事を、平成11年には床板修理・絨毯復原新調・内外塗装修理等を行い、現在に至っている。
 「大学の街」京都にある教会として世界各地正教国からの研究者や留学生の参梼増加も近年の特徴に挙げられる。
2000年5月には、ロシア正教会アレクセイ総主教も当教会を訪れた。(文中敬称略)

■管轄 司祭 パウェル 及川 信(おいかわ しん)

京都ハリストス正教会の基本情報

スポット名 京都ハリストス正教会
TEL 075-231-2453
FAX 075-231-2453
住所 〒604-0965
京都府京都市中京区柳馬場通二条上ル6丁目283
営業日
礼拝時間:
日曜日 朝10時~ 主日聖体礼儀(日曜日の祈り)
土曜日 夕 5時~ 晩祷
(祭日・平日祈祷はホームページ「正教九州・京都」参照)
 ☆平日の聖堂拝観には事前予約をお願い申し上げます
定休日:
お問い合わせください
HP http://www.geocities.jp/rxjkx321/
駐車場 近くにコインパーキングあり
備考 京都府での正教伝道は、徳島に派遣されていた丹後地方間人(たいざ)出身のパウェル中小路伝教者が帰省中に間人や峰山で公開説教を行った明治13年にさかのぼる。
 京都市内では、同22年に市の中心部「押小路通高倉西入る」に講義所を設立。
キリル笹葉政吉が専任伝教者として派遣され、大阪正教会管轄司祭イオアン小野荘五郎の臨時管轄下で伝道活動が開始された。
 翌23年から26年までは、ロシア人修道司祭セルギイ(・ストラゴロドスキイ。後のロシア総主教。
 日本では掌院セルギイ「北海道巡回記」著者としても著名)が20歳代半ばの3年間京都での牧会にあたっている。
 同27年に着任したシメオン三井道郎管轄時代、同30年に現在の境内地「柳馬場通二条上る(やなぎのばんばどおりにじょうあがる)」の京都能楽堂跡地を購入。
 同34年12月には京都府技師松室重光の設計監督になる現在の聖堂、生神女福音(しょうしんじょふくいん=受胎告知)聖堂が完成。
同36年5月ニコライ主教の司祷により成聖された。
 当初は寮制の京都正教女学校も敷地内に併設され、東京からナデジタ高橋五子(いね)が舎監として派遣された。同39年にはアンドロニク(・ニコリスキイ。主教としての駐日期間は3ヶ月のみ)が、ニコライ主教の補佐として「京都の主教」に叙聖された。
(アンドロニクは、ロシア革命戦火の只中1918年に共産軍兵士に処刑された。
2000年、ロシア正教会はアンドロニクを「神品致命者」として聖人に列した。)
 明治41年に来日しニコライ主教就寝後、日本正教会の首座主教となったセルギイ(・チホミロフ)も、名目的なものとはいえ、はじめは「京都の主教」の肩書であった。
アンドレイ目時金吾管轄時代を経て、昭和7年着任したヴィッサリオン高橋長七管轄時代は、第二次世界大戦前後の困難な時代だった。戦火を免れながらも、大戦末期に聖堂が「建物疎開」の命令を受けて取り壊し寸前となったが、終戦により幸いにも取り壊しを免れた。
 他の歴代管轄司祭は、グリゴリイ内藤三雄師、ワシリイ酒井満師、イアコフ日比義夫師、マルコ小池祐幸師、イオアン小野貞治師ら。
 同61年には京都市より有形文化財に指定され、翌62年には聖堂銅板屋根全面改修をはじめとした大規模な修復工事を、平成11年には床板修理・絨毯復原新調・内外塗装修理等を行い、現在に至っている。
 「大学の街」京都にある教会として世界各地正教国からの研究者や留学生の参梼増加も近年の特徴に挙げられる。
2000年5月には、ロシア正教会アレクセイ総主教も当教会を訪れた。(文中敬称略)

■管轄 司祭 パウェル 及川 信(おいかわ しん)【伝道会のご案内】
 ☆ 水曜日 PM6:30~8:00   
 *休会の日もありますので、必ず電話確認をしてから、いらしゃってください。
☆ 受洗希望者(啓蒙者)については、洗礼まで
相談しながら、それぞれに合わせての個別指導を行うこともできます。
遠慮なく神父に相談してください。

【聖歌練習のご案内】
☆ だいたい月1回、主日聖体礼儀後、信徒会館で聖歌練習が実施されています。初心者大歓迎、単旋律(単音)聖歌はじめ混声四部・女性三部合唱など、いろいろな聖歌を一緒に歌いませんか。

【聖堂拝観のご案内】
☆ 原則事前予約の人のみ聖堂拝観を受け付けています。
  必ず来堂前にご予約・ご確認のお電話をお願いします。
        
正教会(オーソドックス)の信仰生活、聖歌(教会音楽)・聖像(教会美術)・聖堂建築などに、ご興味のおありの方は、どうぞいらっしゃってください。

ロシア・ビザンティン様式の流れを受け継いだ、日本風のビザンティン建築様式木造聖堂の優雅・荘厳なたたずまいが信仰者を魅了します。
 聖堂内のすばらしい聖像(イコン)が、あなたを静寂のうちに祈りへと導き、神の恩寵(おんちょう)、聖神(せいしん)の充満を恵むことでしょう。
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