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名護屋城跡・佐賀県立名護屋城博物館

JR九州西唐津駅から車で29分
文化・ミュージアム
  • 博物館
エリア
佐賀県唐津市
最寄り駅
JR九州 唐津線 西唐津駅 出口から車で29分
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メッセージ
唐津市と玄海町に広がる国特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年~1598年)の出兵基地であり、日本列島と朝鮮半島との長い交流史のなかで、その関係を一時断絶させた不幸な歴史の舞台です。同時に、名護屋城跡を中心に半径3キロメートルの範囲にひろがるこの遺跡群は、全国から130を超える大名が集結し陣屋を構築して在陣するという、日本の歴史上にも類を見ない、広域かつ特異な遺跡群です。
名護屋城は1591年から1592年にかけてわずか5ヶ月で完成した広さ17万㎡の巨大な城で、当時は大坂城に次ぐ全国2番目の規模でした。現在は城跡の石垣が当時の面影を伝えています。また、全国から集まった武士と商人で人口20万人を超える城下町ができました。秀吉ら朝鮮へ渡海しなかった大名たちは能楽や茶の湯といった桃山文化を名護屋に持ち込みました。平成9年(1997年)には名護屋城跡の山里丸(秀吉の居館跡)で茅葺の草庵茶室跡が発見され大きな話題となりました。また、文禄・慶長の役では朝鮮半島から多くの人々が戦国大名によって日本に連れて来られました。その中の優れた技術を持つ陶工は九州各地で製陶を行いました。佐賀県を代表する唐津焼、有田焼も彼らが作り始めたと言われています。
名護屋城跡に隣接する名護屋城博物館は、文禄・慶長の役を侵略戦争と位置づけ、その反省のうえに立って、「日本列島と朝鮮半島との交流史」をテーマに、原始から現代までの数千年の交流を示す約220点の資料を常設展示室で展示し、今後の交流・友好の推進拠点になることを目指しています。(写真提供:(社)佐賀県観光連盟)

名護屋城跡・佐賀県立名護屋城博物館の基本情報

スポット名 名護屋城跡・佐賀県立名護屋城博物館
TEL 0955-82-4905
FAX 0955-82-5664
住所 〒847-0401
佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
営業日
開館時間:
9:00~17:00
休館日:
月曜日(但し、当日が祝日のときは翌日)、年末
HP http://www.pref.saga.lg.jp/web/nagoya.html
駐車場 あり 66台(無料)
備考 唐津市と玄海町に広がる国特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年~1598年)の出兵基地であり、日本列島と朝鮮半島との長い交流史のなかで、その関係を一時断絶させた不幸な歴史の舞台です。同時に、名護屋城跡を中心に半径3キロメートルの範囲にひろがるこの遺跡群は、全国から130を超える大名が集結し陣屋を構築して在陣するという、日本の歴史上にも類を見ない、広域かつ特異な遺跡群です。
名護屋城は1591年から1592年にかけてわずか5ヶ月で完成した広さ17万㎡の巨大な城で、当時は大坂城に次ぐ全国2番目の規模でした。現在は城跡の石垣が当時の面影を伝えています。また、全国から集まった武士と商人で人口20万人を超える城下町ができました。秀吉ら朝鮮へ渡海しなかった大名たちは能楽や茶の湯といった桃山文化を名護屋に持ち込みました。平成9年(1997年)には名護屋城跡の山里丸(秀吉の居館跡)で茅葺の草庵茶室跡が発見され大きな話題となりました。また、文禄・慶長の役では朝鮮半島から多くの人々が戦国大名によって日本に連れて来られました。その中の優れた技術を持つ陶工は九州各地で製陶を行いました。佐賀県を代表する唐津焼、有田焼も彼らが作り始めたと言われています。
名護屋城跡に隣接する名護屋城博物館は、文禄・慶長の役を侵略戦争と位置づけ、その反省のうえに立って、「日本列島と朝鮮半島との交流史」をテーマに、原始から現代までの数千年の交流を示す約220点の資料を常設展示室で展示し、今後の交流・友好の推進拠点になることを目指しています。(写真提供:(社)佐賀県観光連盟)
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