アキハサンホングウ アキハジンジャ
秋葉山本宮 秋葉神社
火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給ふ神様
神社
- 神社
- エリア
- 静岡県浜松市天竜区
- 最寄り駅
- 新東名高速道路 浜松浜北ICから車で約30分
メッセージ
秋葉山本宮秋葉神社の創建は和銅2年(西暦709年)です。 秋葉山本宮秋葉神社は赤石山脈の最南端天竜川の上流に位置する標高866mの秋葉山を御神体山として崇敬されてまいりました。初めて御社殿が建ったのは、今から凡そ1300年前和銅2年(西暦709年)と伝えられており、火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給ふ神様であります。明治以前は秋葉大権現と申し上げておりましたが、現在は秋葉山本宮秋葉神社と申し上げ、秋葉神社の総本宮として全国津々浦々から崇敬されております。
秋葉山本宮 秋葉神社の基本情報
スポット名 | 秋葉山本宮 秋葉神社 |
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TEL | 053-985-0111 |
住所 |
〒437-0626 静岡県浜松市天竜区春野町領家841 |
営業日 |
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HP | http://www.akihasanhongu.jp/ |
駐車場 | あり |
備考 | 秋葉山本宮秋葉神社の創建は和銅2年(西暦709年)です。 秋葉山本宮秋葉神社は赤石山脈の最南端天竜川の上流に位置する標高866mの秋葉山を御神体山として崇敬されてまいりました。初めて御社殿が建ったのは、今から凡そ1300年前和銅2年(西暦709年)と伝えられており、火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給ふ神様であります。明治以前は秋葉大権現と申し上げておりましたが、現在は秋葉山本宮秋葉神社と申し上げ、秋葉神社の総本宮として全国津々浦々から崇敬されております。【由緒】 ◆御社号 上古は、《岐陛保神ノ社》(キヘノホノカミノヤシロ)と申し上げましたが、中世両部神道の影響を受けて「秋葉大権現」と称し、明治初年教部省の達で権現号を改め「秋葉神社」となったが、昭和27年全国の秋葉神社の総本宮であることから「秋葉山本宮秋葉神社」と改称した。 ◆御祭神 御祭神は、火之迦具土大神と申し上げ、伊邪那岐・伊邪那美二柱の神の御子で火の主宰神である。火の光は時間的、空間的に人間の活動範囲を拡め、その熱は人間に冬の寒さも克服させ、食生活を豊かにし、そのエネルギーは工業・科学の源になると共に、その威力は総ての罪穢れを払い去るのである。光と・熱と強いエネルギーを与えられたこの神は、文化科学の生みの親として畏敬され、崇められてきたのである。 ◆御神徳 御神徳は、火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として、火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛・工業発展の霊験あらたかなるものとして、全国津々浦々から信仰されている。御霊験は奈良朝以来、屡々顕れ、御神威は海内に行きわたり、朝廷の信仰篤く正一位の宣旨を賜って、正一位秋葉神社と申し上げる。 ◆御神寳 秋葉山本宮秋葉神社には、古来より多くの日本刀が献納されて来たり、今に至っている。 明治23年に記された『寶物目録』には、185口を数えるが、明治43年牧野泰一著『秋葉土産』によると更に数口が追加されている。また昭和26年の調査による『刀剣台帳』は、上記以外に数口が新たに加えられている。『寶物実録』に記された献納者の内、名立たる武将として、伊豫守源 頼義・為朝、足利尊氏・今川仲秋・武田信玄・長曽我部 元親・豊臣秀吉・加藤清正・福島正則などの名が挙げられる。江戸時代には彦根藩藩主をはじめ各大名が名を連ねている。更に公家や豪商とおぼしき町人もみられ、その居住地は駿河・尾張・伊勢など東海地方から、京都・大阪。紀伊など近畿地方、美濃・越前・などの東山、北陸地方に亘っている。大名から庶民に至るまで、広く信仰を集めていたことを示している。神社に日本刀を奉納する習わしはわが国国有のの文化である。武運長久を祈願し、一族の繁栄を念じ、また、その御神徳に謝す崇敬の証に他ならない。日本刀は 護身の武器として、また鏡の如く磨き澄まされた刀身は、清浄なる魂の依拠するところでもあった。 献納された日本刀は、平安時代から鎌倉・室町・桃山・江戸の作がり、製作地方は山城、大和、など畿内から、東海道、東山道、北陸道、山陽道などほぼ全国に亘っている。秋葉土産には献納者による記述がなされ、一般にわかりやすく書かれている。これらの記述の中には刀剣以外に御新筆や書画なども多く記されている。しかし永い年の流れの中でさまざまな災難にあい、失われたものの多くに愛惜の思いが募る。 「秋葉山本宮秋葉神社の奉納刀」渡邊妙子氏 |