ナカヤマデラ

中山寺

安産祈願・大本山・中山寺
寺院
  • 仏教寺院
エリア
兵庫県宝塚市
最寄り駅
JR福知山線 中山寺駅 から徒歩15分
阪急宝塚本線 中山駅 から徒歩1分
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祈祷
子授祈祷
子は宝、と古来より言われております。良い子を持つほど、親として大きな幸せはありません。子宝を授かるためにご祈念いたします。お札を10日間身代わりにご祈祷し、お送りいたします。

安産祈祷
当山ではご安産いただくために、あらかじめご祈祷いたしました御腹帯とお守りをお授けしております。妊婦さまへのご祈祷は、お札を10日間身代わりにご祈祷し、お送りいたします。
また、安産特別祈祷においては、お参り頂きました当日に妊婦さまご本人に直接、祈祷殿でご祈祷させていただきます。さらにお札をおつくりいたしまして、当日を含む10日間ご祈祷の後にお送りいたします。

お礼参り
産後の腹帯は、腹部を温め、腹壁のゆるみを防ぎますから、必ず使用しましょう。また、少なくとも10日の臥床と一ヶ月位の安静が大切です。決して無理をなさらぬようにお過ごし下さい。観音さまに無事出産のお礼と、今後の無事成長とのお願いを兼ねて、お礼参りに参拝下さい。

母子息災祈祷
お礼参りの際、お子さまの無事成長とお母さまの産後の健康を祈念する母子息災のご祈祷を受付いたしております。お礼参りと同じ申し込み用紙にてお申し込み頂けます。お札を身代わりにご祈祷の後、お送りいたします。

初参り祈祷
ご安産され、おかげを頂戴した観音さまに赤ちゃんが初めてお出遭いをし、絶えることのないご縁を結ぶ儀式です。お子さまのより善き成長をご祈念いたします。
男の子は31日目、女の子は32日目をめどにお参り下さい。
メッセージ
北摂の地に、紫の雲たなびくといわれる中山寺は、聖徳太子の創建によるとつたえられる、わが国最初の観音霊場です。
御本尊は十一面観世音菩薩で、古くより安産・求子の観音として数多くの婦人より篤く信仰されてきました。御本尊のお姿はインドの勝鬘夫人(インド中古のアユジャ国の王妃で、仏法に帰依し、釈尊の教えをことごとく悟得された女性)が女人救済の悲願をこめて、自ら等身像を彫刻されたことに故実する尊像と伝えられています。すべての人の正しい願いを聞き入れて、世の憂いや苦しみを取り除き、心の畏れるところのない境地を与えられるご本尊本来の願いを、その両御手にあらわされているのも、当山にみられる特別なお姿であり、平安初期の他に類のないすぐれた尊像のゆえんです。
また代々皇室の崇信もあつく、安産祈願本邦随一の霊場として、源頼朝をはじめ武家・庶民にも深く信仰されていました。ことに、豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ、伽藍再建をしました。これが現在の伽藍です。
草創以来、長い歴史の中で当山は多くの物語でかざられ、世に名高い謡曲「満仲」や「菅原伝授手習鑑」は、平安中期に多田源氏満仲の信護をうけた時代の、当山にまつわる美女丸・幸寿丸の哀話から創作されたものです。
満仲より8代目の多田城主は源 行綱です。彼の妻は不信心による悪態をご本尊が鐘の緒をもって戒められたと伝えられており、その鐘の緒はいまでも保存されています。以来中山寺の「鐘の緒」といわれて、女性の大役である出産の無事安泰を守る「安産の腹帯」として、数百年たえることのない日夜の祈念をいたしております。
 ことに幕末には、中山一位局を当山の鐘の緒をうけ明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳を高め、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を授かりにまいられます。

中山寺の基本情報

スポット名 中山寺
TEL 0797-87-0024
住所 〒665-0861
兵庫県宝塚市中山寺2-11-1
営業日
受付時間:
9:00~17:00
年中無休:
-
HP http://www.nakayamadera.or.jp/top.html
備考 北摂の地に、紫の雲たなびくといわれる中山寺は、聖徳太子の創建によるとつたえられる、わが国最初の観音霊場です。
御本尊は十一面観世音菩薩で、古くより安産・求子の観音として数多くの婦人より篤く信仰されてきました。御本尊のお姿はインドの勝鬘夫人(インド中古のアユジャ国の王妃で、仏法に帰依し、釈尊の教えをことごとく悟得された女性)が女人救済の悲願をこめて、自ら等身像を彫刻されたことに故実する尊像と伝えられています。すべての人の正しい願いを聞き入れて、世の憂いや苦しみを取り除き、心の畏れるところのない境地を与えられるご本尊本来の願いを、その両御手にあらわされているのも、当山にみられる特別なお姿であり、平安初期の他に類のないすぐれた尊像のゆえんです。
また代々皇室の崇信もあつく、安産祈願本邦随一の霊場として、源頼朝をはじめ武家・庶民にも深く信仰されていました。ことに、豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ、伽藍再建をしました。これが現在の伽藍です。
草創以来、長い歴史の中で当山は多くの物語でかざられ、世に名高い謡曲「満仲」や「菅原伝授手習鑑」は、平安中期に多田源氏満仲の信護をうけた時代の、当山にまつわる美女丸・幸寿丸の哀話から創作されたものです。
満仲より8代目の多田城主は源 行綱です。彼の妻は不信心による悪態をご本尊が鐘の緒をもって戒められたと伝えられており、その鐘の緒はいまでも保存されています。以来中山寺の「鐘の緒」といわれて、女性の大役である出産の無事安泰を守る「安産の腹帯」として、数百年たえることのない日夜の祈念をいたしております。
 ことに幕末には、中山一位局を当山の鐘の緒をうけ明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳を高め、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を授かりにまいられます。中山寺の「鐘の緒」は、女性の大役である出産の無事安泰を祈る霊跡として、古来よりその伝統をもち、深く信仰されてきました。

 ことに幕末には中山一位局が当山の鐘の緒を受けて明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳をたかめ、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を頂きに参られます。
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