ウンリュウイン

雲龍院

京都駅から一番近い、東山の奥座敷
寺院
  • 仏教寺院
エリア
京都府京都市東山区
最寄り駅
京阪本線 東福寺駅 から徒歩20分
JR奈良線 東福寺駅 から徒歩20分
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本堂 龍華殿(重要文化財)
昭和四十一年に重要文化財に指定された本堂の龍華殿は、さわら材を竹の釘で打った雄大なこけら葺きで今ではたいへん貴重なものとなっています。雲龍院は、南北朝時代の後光厳天皇と三代にわたる菩薩寺院で、特に後円融天皇が写経の功徳をご信奉になり、妙法写経を発願され、それ以降妙法写経の勤修は雲龍院に受け継がれております。
本尊 薬師如来三尊像
「お薬師さん」の愛称で知られる薬師如来は瑠璃光王や大医王尊などと呼ばれることがあり、お医者様の役目を果たす現世利益の仏として親しまれてきました。当院は西国薬師如来四十番霊場で、鎌倉時代作の本尊薬師如来坐像を中心に日光・月光両菩薩を両脇に安置祀られています。
龍華殿 写経塔
南北朝時代の後円融天皇から写経の功徳を御信奉されて以来、現代まで続く現存最古の写経道場として信仰を集めて参りました。
随時受付の本堂での御写経は、御水尾天皇より御寄進された写経机が現在もそのまま使用されています。
霊明殿
御寺泉涌寺の別院である当院は皇室と大変密接な関係のお寺です。後水尾天皇以降の歴代の陵墓が後山にあり、霊明殿はその皇族の位牌堂のことで、現在の建物は明治元年に孝明天皇・大宮御所・静寛院宮・各尼門跡宮からの援助を受け建立されました。内陣の中央には、北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇の御尊牌そして左側には後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇、右側には東福門院・普明照院といった江戸時代の皇子・皇女の尊牌が奉安されています。また霊明殿前には徳川慶喜寄進の石灯籠が、配置されております。
走り大黒天
俵の上に乗った長者の大黒様とは異なり、かつての戦神・台所神の面影を残す大きな袋を背負ったわらじ履きの大黒様はとても怪奇な印象をうけます。鎌倉時代の作、当院の台所に安置されます。
悟りの窓
書院悟之間の窓、「悟りの窓」は訪れる度に、その風景を変化させます。
蓮華の間
蓮華の間の障子窓を覗くと椿・灯籠・紅葉・松が見え情緒を醸しだします。
メッセージ
 御寺泉涌寺本坊の南高所に位置する真言宗泉涌寺派別格本山雲龍院は、応安五年(一三七二)後光厳天皇の思召しによって、竹巌聖白皐が開いた寺で、皇子・後円融院はここに如法写経を興そうと寺領を寄せ、龍華殿を御建立した。また後小松、称光の両天皇もこの寺を崇敬され、四天皇崩御の後は後山に御分骨所が営まれ、北朝歴代の御尊牌が霊明殿に奉安されている。
 徳川の初め中興の祖、如周宗師が雲龍、龍華両院を合併し、この事が御水尾天皇の叡聞に達し造営費御下賜の恩命の浴し写経の道場を現在の位置に再建される。官営十九年、御水尾天皇より写経会に要する仏具百余点の御寄付を賜りて立派に再興を遂げた。
 以後、徳川の御代本願天皇の御国忌の折々に御下賜金を賜り、諸堂の修理を行い、この間鎮守堂、鐘楼等の建立がなされ東西に僧坊を設けて諸方より各宗の門徒集まり、研鑽に励み多くの俊英を輩出した。
 皇室との御縁故は天保十四年以降、光格天皇の皇妃を始め、仁孝天皇両皇女、孝明天皇の両皇女を後山に葬り奉ってより再び深くなり玄関、方丈、勅使門を賜り次いで御尊牌を奉安する霊面殿は慶応二年に始まり、孝明天皇、明治天皇、英照皇太后の思し召しにより明治二年現存の様に再建された。
本堂龍華殿(重要文化財)安置の本尊・薬師三尊(薬師・日光・月光)や、また怒れる神の面影「走り大黒天」は極めて写実的な鎌倉時代の作である。

雲龍院の基本情報

スポット名 雲龍院
TEL 075-541-3916
FAX 075-533-7150
住所 〒605-0977
京都府京都市東山区泉涌寺山内町36
営業日
参拝時間:
9:00~16:30受付終了(17:00閉門) 写経受付:15:30終了
ライトアップ・夜間拝観時は21:00受付終了(21:30閉門)
年中無休:
-
HP http://www.unryuin.jp
駐車場 あり
備考  御寺泉涌寺本坊の南高所に位置する真言宗泉涌寺派別格本山雲龍院は、応安五年(一三七二)後光厳天皇の思召しによって、竹巌聖白皐が開いた寺で、皇子・後円融院はここに如法写経を興そうと寺領を寄せ、龍華殿を御建立した。また後小松、称光の両天皇もこの寺を崇敬され、四天皇崩御の後は後山に御分骨所が営まれ、北朝歴代の御尊牌が霊明殿に奉安されている。
 徳川の初め中興の祖、如周宗師が雲龍、龍華両院を合併し、この事が御水尾天皇の叡聞に達し造営費御下賜の恩命の浴し写経の道場を現在の位置に再建される。官営十九年、御水尾天皇より写経会に要する仏具百余点の御寄付を賜りて立派に再興を遂げた。
 以後、徳川の御代本願天皇の御国忌の折々に御下賜金を賜り、諸堂の修理を行い、この間鎮守堂、鐘楼等の建立がなされ東西に僧坊を設けて諸方より各宗の門徒集まり、研鑽に励み多くの俊英を輩出した。
 皇室との御縁故は天保十四年以降、光格天皇の皇妃を始め、仁孝天皇両皇女、孝明天皇の両皇女を後山に葬り奉ってより再び深くなり玄関、方丈、勅使門を賜り次いで御尊牌を奉安する霊面殿は慶応二年に始まり、孝明天皇、明治天皇、英照皇太后の思し召しにより明治二年現存の様に再建された。
本堂龍華殿(重要文化財)安置の本尊・薬師三尊(薬師・日光・月光)や、また怒れる神の面影「走り大黒天」は極めて写実的な鎌倉時代の作である。
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