フジノモリジンジャ

藤森神社

菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、にぎわっております。
神社
  • 神社
エリア
京都府京都市伏見区
最寄り駅
京阪本線 墨染駅 から徒歩7分
JR奈良線 藤森駅 から徒歩5分
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メッセージ
『由緒』

当社は、今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です。本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったものです。特に当社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわっております。


『藤森神社縁起』

京都洛南深草の里に、平安遷都以前より祀られている古社であり、古来、朝廷から武家、庶民にいたるまで崇敬厚く、歴史ある社である。歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となった。

 ■本殿中央(中座)御祭神は素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。
神功皇后が摂政3(203)年、新羅より凱旋の後、山城の国深草の里藤森の地を神在の聖地として撰び纛旗(軍中の大旗)を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りされた、それが当社の起こりである。現在、本殿東にある旗塚がその塚である。延暦13(794)年、桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。

 ■本殿東殿(東座)御祭神は舎人親王、天武天皇の二柱。
天平宝字3(759)年、深草の里藤尾の地に鎮座。藤尾は現在の伏見稲荷の地である。永享10(1438)年、後花園天皇の勅により、時の将軍足利義教が山頂の稲荷の祠を三麓の藤尾の地に移し、藤尾大神を藤森に遷座し、東殿に祀り、官幣の儀式が行われた。舎人親王は、日本書紀の撰者であり武道にも優れた文武両道の神であった。皇室や藤原一門の崇敬厚く、貞観2(860)年、清和天皇の宝祚に際し奉幣の神事が行われた。これが藤森祭(深草祭)の初めである。

 ■本殿西殿(西座)御祭神は早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱。
早良親王は皇太子となられた後、蝦夷で反乱が起こったので征討将軍として当神社に詣で戦勝を祈願され、出陣しようとされたところ、これを伝え聞いた反乱軍は畏怖し、乱は戦わずして平定された。英武の方であられたが、延暦4年、事に座して淡路に流される途中で亡くなられた。延暦19年、親王は崇道天皇と追号され、塚本の地(京都市東山区本町十六丁目)に祀られた。
天長3年、伊豫親王、井上内親王の二柱を合祀し、官幣の儀式が行われた。塚本の宮は、たびたびの火災により小天王の地(深草西出町)へ移り、応仁の乱で焼失したため三柱は藤森に遷され、西殿に祀られた。

毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭と言われ、各家々に飾られる武者人形には藤森の神が宿るとされている。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。
日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから、学問の神として信仰されている。
藤森祭に奉納される駈馬神事が馬の神事であることから馬の神として信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの祭典が毎年行われて多くの人々の参拝がある。

『御祭神』


素盞鳴命
(すさのおのみこと)
別雷命 (わけいかずちのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
応神天皇 (おうじんてんのう)
仁徳天皇 (にんとくてんのう)
神功皇后 (じんぐうこうごう)
武内宿禰 (たけのうちのすくね)
舎人親王 (とねりしんのう)
天武天皇 (てんむてんのう)
早良親王 (さわらしんのう)
伊豫親王 (いよしんのう)
井上内親王 (いがみないしんのう)
以上十二柱

藤森神社の基本情報

スポット名 藤森神社
TEL 075-641-1045
FAX 075-642-6231
住所 〒612-0864
京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
営業日
拝観時間:
24時間
年中無休:
-
HP http://www.fujinomorijinjya.or.jp
駐車場 あり
備考 『由緒』

当社は、今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社です。本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったものです。特に当社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわっております。


『藤森神社縁起』

京都洛南深草の里に、平安遷都以前より祀られている古社であり、古来、朝廷から武家、庶民にいたるまで崇敬厚く、歴史ある社である。歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となった。

 ■本殿中央(中座)御祭神は素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。
神功皇后が摂政3(203)年、新羅より凱旋の後、山城の国深草の里藤森の地を神在の聖地として撰び纛旗(軍中の大旗)を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りされた、それが当社の起こりである。現在、本殿東にある旗塚がその塚である。延暦13(794)年、桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。

 ■本殿東殿(東座)御祭神は舎人親王、天武天皇の二柱。
天平宝字3(759)年、深草の里藤尾の地に鎮座。藤尾は現在の伏見稲荷の地である。永享10(1438)年、後花園天皇の勅により、時の将軍足利義教が山頂の稲荷の祠を三麓の藤尾の地に移し、藤尾大神を藤森に遷座し、東殿に祀り、官幣の儀式が行われた。舎人親王は、日本書紀の撰者であり武道にも優れた文武両道の神であった。皇室や藤原一門の崇敬厚く、貞観2(860)年、清和天皇の宝祚に際し奉幣の神事が行われた。これが藤森祭(深草祭)の初めである。

 ■本殿西殿(西座)御祭神は早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱。
早良親王は皇太子となられた後、蝦夷で反乱が起こったので征討将軍として当神社に詣で戦勝を祈願され、出陣しようとされたところ、これを伝え聞いた反乱軍は畏怖し、乱は戦わずして平定された。英武の方であられたが、延暦4年、事に座して淡路に流される途中で亡くなられた。延暦19年、親王は崇道天皇と追号され、塚本の地(京都市東山区本町十六丁目)に祀られた。
天長3年、伊豫親王、井上内親王の二柱を合祀し、官幣の儀式が行われた。塚本の宮は、たびたびの火災により小天王の地(深草西出町)へ移り、応仁の乱で焼失したため三柱は藤森に遷され、西殿に祀られた。

毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭と言われ、各家々に飾られる武者人形には藤森の神が宿るとされている。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。
日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから、学問の神として信仰されている。
藤森祭に奉納される駈馬神事が馬の神事であることから馬の神として信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの祭典が毎年行われて多くの人々の参拝がある。

『御祭神』


素盞鳴命
(すさのおのみこと)
別雷命 (わけいかずちのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
応神天皇 (おうじんてんのう)
仁徳天皇 (にんとくてんのう)
神功皇后 (じんぐうこうごう)
武内宿禰 (たけのうちのすくね)
舎人親王 (とねりしんのう)
天武天皇 (てんむてんのう)
早良親王 (さわらしんのう)
伊豫親王 (いよしんのう)
井上内親王 (いがみないしんのう)
以上十二柱『ご祈祷・出張祭典』


〔受付時間〕
AM 9:00~PM 4:00 随時受付       ※ただし、祭典中を除きます。


〔ご祈祷の願意〕
○ 初宮詣 ○ 交通安全 ○ 家内安全
○ 商売繁盛 ○ 安産 ○ 合格
○ 厄除 ○ 病気平癒 ○ 勝運
○ 旅行安全 ○ 心願成就 ○ 十三詣
○ 還暦 ○ 誕生日 ○ 方除
○ お礼詣 ○ 勝馬祈願 ○ 七五三詣
※ご祈祷の予約は不要ですが、当神社写真部による記念写真は要予約です。

〔ご祈祷料〕5,000円より


『七五三詣 11月中』

藤森神社 《七五三パックのご案内》
要予約      事前に神社までお電話でお申込みください


ご祈祷: ■神矢■千歳飴■御守■記念メダル■記念品
貸衣裳: 七五三着物一式(白足袋はご用意ください)
着付け: 髪のセットは別料金になります。(3,000円)
写 真: お子様一人写し六ツ切り1枚です。 台紙付
料 金: 26,000円 ※衣裳持ち込みの場合は、20,000円


■七五三パックご予約の方に限り■

衣裳をお選びに直接「ハヤセ衣裳店」までご来店いただいた方には、
交通費又は、駐車代として500円お支払い致します。
「ハヤセ衣裳店」  四条河原町下ル東側  TEL:075-351-0076
     9,10,11月中(水曜日定休)
          営業時間:午前10時~午後5時迄受付




【七五三詣ご祈祷料】 5,000円~  ご予約は不要です。


◇随時受付順にご祈祷致します。
◇11月中の土・日・祝日は、記念写真のご予約は、不要です。(当日可)


藤森神社    受付時間 午前9時~午後4時
〒612-0864 京都市伏見区深草鳥居崎町609
TEL:075-641-1045  FAX:075-642-6231


〔出張祭典〕35,000円より

○ 地鎮祭 ○ 上棟祭 ○ 竣工祭 ○ 清祓
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