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日蓮宗法蓮寺

永代供養墓地 受付中
寺院
  • 仏教寺院
エリア
東京都品川区
最寄り駅
都営地下鉄浅草線、東急大井町線 中延駅 から徒歩5分
東急大井町線 荏原町駅 改札口出てすぐ
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メッセージ
*法蓮寺について*

 八幡山法蓮寺は日蓮宗の寺で、毎年十月のお会式には万灯や団扇太鼓を持った信者の参詣で大賑わいする。荏原七福神の恵比寿の寺としても知られている。

開山は鎌倉時代中期、日本が蒙古来襲の脅威にさらされていた文永年間(一二六四-七五)のことと伝えられ、八幡太郎義家の子孫というこの地の豪族荏原氏の館に創建された寺だったという言い伝えがある。

「こゝに荏原郡の領主荏原左衛門尉義宗と云ふ人あり。(姓は源にして即ち八幡太郎義家朝臣の遠裔なり)代々この地を禄す、依つて中延を氏とし又この所に館せり」

 『江戸名所図会』の「中延八幡宮」、現旗岡八幡神社に関する記述では、荏原氏が八幡神社と法蓮寺が建つ地に館を構えていたとしている。

 義宗は日蓮上人の教えに帰依して、末子の徳次郎を日蓮の高弟日朗に弟子入りさせた。朗慶で、彼は後に越中阿闍梨と称された高僧になり、父の館の地に建つ法蓮寺の開祖と伝えられている。

 館には、義宗が先祖から受け継いだ八幡の神像が既に祀られていたようだ。旗岡八幡で、こちらのほうが法蓮寺よりやや歴史が古いが、神仏習合時代のことであり、荏原氏により法蓮寺開山と同時に八幡神社も作られた。

 八幡さまはもともと源氏と縁の深い神さまだが、荏原氏が支配した旗の台、中延地区はとりわけ源氏との関係が深かった。中延には「源氏前」という地名が近年まであり、小学校の名前として今も残っている。

日蓮宗法蓮寺の基本情報

スポット名 日蓮宗法蓮寺
TEL 03-3781-4011
住所 〒142-0064
東京都品川区旗の台3-6-18
営業日
参拝時間:
お問い合わせください
不定休:
お問い合わせください
HP http://www.hourenji.or.jp/
備考 *法蓮寺について*

 八幡山法蓮寺は日蓮宗の寺で、毎年十月のお会式には万灯や団扇太鼓を持った信者の参詣で大賑わいする。荏原七福神の恵比寿の寺としても知られている。

開山は鎌倉時代中期、日本が蒙古来襲の脅威にさらされていた文永年間(一二六四-七五)のことと伝えられ、八幡太郎義家の子孫というこの地の豪族荏原氏の館に創建された寺だったという言い伝えがある。

「こゝに荏原郡の領主荏原左衛門尉義宗と云ふ人あり。(姓は源にして即ち八幡太郎義家朝臣の遠裔なり)代々この地を禄す、依つて中延を氏とし又この所に館せり」

 『江戸名所図会』の「中延八幡宮」、現旗岡八幡神社に関する記述では、荏原氏が八幡神社と法蓮寺が建つ地に館を構えていたとしている。

 義宗は日蓮上人の教えに帰依して、末子の徳次郎を日蓮の高弟日朗に弟子入りさせた。朗慶で、彼は後に越中阿闍梨と称された高僧になり、父の館の地に建つ法蓮寺の開祖と伝えられている。

 館には、義宗が先祖から受け継いだ八幡の神像が既に祀られていたようだ。旗岡八幡で、こちらのほうが法蓮寺よりやや歴史が古いが、神仏習合時代のことであり、荏原氏により法蓮寺開山と同時に八幡神社も作られた。

 八幡さまはもともと源氏と縁の深い神さまだが、荏原氏が支配した旗の台、中延地区はとりわけ源氏との関係が深かった。中延には「源氏前」という地名が近年まであり、小学校の名前として今も残っている。【永代供養塔案内】
法蓮寺 永代供養塔 (平成十四年十月十六日完成)
法蓮寺では御縁ある方々がどなたでも入れる供養等(御墓)を造りました。この塔に納められました御遺骨は永代に渡りまして御回向申し上げます。無縁墓とは違いまして、法蓮寺が永代に維持管理する供養塔(御墓)であります。入塔されました方々は供養塔名簿に記載しまして、日蓮宗の法要儀式に則り妙法蓮華経と御題目にて本堂に於いて入塔者合同の御回向を致します。入塔に際しましては、日蓮宗を信奉する法蓮寺の信徒になって頂きます。入塔冥加金は、一霊位五十万円以上です。別紙申込書に記入の上ご提出ください。当山では、入塔に諸事情がある方、並びに仏事全般に関しますご相談に応じますのでお気軽にお電話にてご予約の上、寺務所までお越しください。

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