ダイホンザンナリタサンオオサカベツイン ナリタサンフドウソン
大本山成田山大阪別院 成田山不動尊
交通安全 諸願成就/成田山不動尊(成田山大阪別院 明王院)
寺院
- 仏教寺院
- エリア
- 大阪府寝屋川市
- 最寄り駅
-
京阪本線 香里園駅 東側出口より徒歩約15分
京阪本線 香里園駅 東側出口から京阪バスで約5分「成田山不動尊前」下車すぐ
大本山成田山大阪別院 成田山不動尊に行く前にチェック!
メッセージ
~成田山不動尊について~
大本山成田山新勝寺の起源と関西の縁は古く、天慶の昔、関東で起きた「平将門の乱」平定のおり、大本山成田山新勝寺の開祖:寛朝(かんちょう)大僧正が、ご本尊とともに、海路にて大阪の地を出発した事からはじまります。弘法(こうぼう)大師空海の手によって開眼された不動明王のご本尊を持参し、関東まで参上した寛朝大僧正は、護摩法と不動明王のご霊験により乱を見事平定、その功績により開山・鎮座されたのが、現在の千葉県成田の地:大本山成田山新勝寺の始まりとされています。
その為、関西の大本山成田山新勝寺への信仰も古く、特に明治時代からは信徒がさらに増加、大正時代には大阪庶民の信仰の中心である千日前「水かけ不動」近辺に、成田山不動堂があった程でした。
当別院の歴史は、大阪地区への成田山別院建立を望む声が高まる中、当時大本山成田山新勝寺の大篤信(だいとくしん)であり大阪府知事の実弟でもあった田辺真弘氏が、関西信徒を代表して大本山へ願い出られた事から幕を開けました。別院建立の敷地に関しては、古くより大阪方面から「鬼門」に当たるという事で開発の遅れていた香里の地が選定され、京都の鬼門:比叡山に延暦寺があるように、大阪の表鬼門であり京都の裏鬼門となる香里の地に、守護神として霊験あらたかなる成田山の不動明王をお祀りする事で、この地の発展も祈念する事になりました。
そして、昭和9年(1934年)京阪電気鉄道株式会社から広大な境内地と堂宇が寄進され、大本山成田山新勝寺のご本尊不動明王のご分霊を勧請、遂に関西熱誠信徒待望の成田山大阪別院明王院(成田山不動尊)が誕生したのです。
開創以来、『家族の安全』『子どもの健やかな成長』など…、人々の切なる願いを真摯に受け入れご祈祷を捧げる事によって、皆様とともに歩む存在でありたいと願い続けております。日本で初めての専用祈祷殿でも知られる『交通安全祈願』も、はじまりはその一例であり、現在では年間20万台のご祈祷車と200万人を越す参拝者をお迎えできるまでに発展させていただきました。
大本山成田山新勝寺の起源と関西の縁は古く、天慶の昔、関東で起きた「平将門の乱」平定のおり、大本山成田山新勝寺の開祖:寛朝(かんちょう)大僧正が、ご本尊とともに、海路にて大阪の地を出発した事からはじまります。弘法(こうぼう)大師空海の手によって開眼された不動明王のご本尊を持参し、関東まで参上した寛朝大僧正は、護摩法と不動明王のご霊験により乱を見事平定、その功績により開山・鎮座されたのが、現在の千葉県成田の地:大本山成田山新勝寺の始まりとされています。
その為、関西の大本山成田山新勝寺への信仰も古く、特に明治時代からは信徒がさらに増加、大正時代には大阪庶民の信仰の中心である千日前「水かけ不動」近辺に、成田山不動堂があった程でした。
当別院の歴史は、大阪地区への成田山別院建立を望む声が高まる中、当時大本山成田山新勝寺の大篤信(だいとくしん)であり大阪府知事の実弟でもあった田辺真弘氏が、関西信徒を代表して大本山へ願い出られた事から幕を開けました。別院建立の敷地に関しては、古くより大阪方面から「鬼門」に当たるという事で開発の遅れていた香里の地が選定され、京都の鬼門:比叡山に延暦寺があるように、大阪の表鬼門であり京都の裏鬼門となる香里の地に、守護神として霊験あらたかなる成田山の不動明王をお祀りする事で、この地の発展も祈念する事になりました。
そして、昭和9年(1934年)京阪電気鉄道株式会社から広大な境内地と堂宇が寄進され、大本山成田山新勝寺のご本尊不動明王のご分霊を勧請、遂に関西熱誠信徒待望の成田山大阪別院明王院(成田山不動尊)が誕生したのです。
開創以来、『家族の安全』『子どもの健やかな成長』など…、人々の切なる願いを真摯に受け入れご祈祷を捧げる事によって、皆様とともに歩む存在でありたいと願い続けております。日本で初めての専用祈祷殿でも知られる『交通安全祈願』も、はじまりはその一例であり、現在では年間20万台のご祈祷車と200万人を越す参拝者をお迎えできるまでに発展させていただきました。
大本山成田山大阪別院 成田山不動尊の基本情報
スポット名 | 大本山成田山大阪別院 成田山不動尊 |
---|---|
TEL | 072-833-8881 |
住所 |
〒572-0005 大阪府寝屋川市成田西町10番1号 |
営業日 |
|
HP | http://www.osaka-naritasan.or.jp/index.shtml |
駐車場 | あり |
備考 | ~成田山不動尊について~ 大本山成田山新勝寺の起源と関西の縁は古く、天慶の昔、関東で起きた「平将門の乱」平定のおり、大本山成田山新勝寺の開祖:寛朝(かんちょう)大僧正が、ご本尊とともに、海路にて大阪の地を出発した事からはじまります。弘法(こうぼう)大師空海の手によって開眼された不動明王のご本尊を持参し、関東まで参上した寛朝大僧正は、護摩法と不動明王のご霊験により乱を見事平定、その功績により開山・鎮座されたのが、現在の千葉県成田の地:大本山成田山新勝寺の始まりとされています。 その為、関西の大本山成田山新勝寺への信仰も古く、特に明治時代からは信徒がさらに増加、大正時代には大阪庶民の信仰の中心である千日前「水かけ不動」近辺に、成田山不動堂があった程でした。 当別院の歴史は、大阪地区への成田山別院建立を望む声が高まる中、当時大本山成田山新勝寺の大篤信(だいとくしん)であり大阪府知事の実弟でもあった田辺真弘氏が、関西信徒を代表して大本山へ願い出られた事から幕を開けました。別院建立の敷地に関しては、古くより大阪方面から「鬼門」に当たるという事で開発の遅れていた香里の地が選定され、京都の鬼門:比叡山に延暦寺があるように、大阪の表鬼門であり京都の裏鬼門となる香里の地に、守護神として霊験あらたかなる成田山の不動明王をお祀りする事で、この地の発展も祈念する事になりました。 そして、昭和9年(1934年)京阪電気鉄道株式会社から広大な境内地と堂宇が寄進され、大本山成田山新勝寺のご本尊不動明王のご分霊を勧請、遂に関西熱誠信徒待望の成田山大阪別院明王院(成田山不動尊)が誕生したのです。 開創以来、『家族の安全』『子どもの健やかな成長』など…、人々の切なる願いを真摯に受け入れご祈祷を捧げる事によって、皆様とともに歩む存在でありたいと願い続けております。日本で初めての専用祈祷殿でも知られる『交通安全祈願』も、はじまりはその一例であり、現在では年間20万台のご祈祷車と200万人を越す参拝者をお迎えできるまでに発展させていただきました。■成田山のご祈祷について 唐の時代より伝わる密教に基づいたご祈祷・・・ 願いを清らかなものへと嵩め、成就を祈る 大本山成田山新勝寺のお不動様(不動明王)は、平安時代に嵯峨天皇の申しつけによって弘法(こうぼう)大師空海が自ら謹製し、開眼供養をされたお不動様で、成田山不動尊のご本尊はこの新勝寺のご分霊です。 右手に煩悩や迷いを断ち切る剣を持ち、左手に悪を縛り上げ、煩悩から抜け出せない人々を救い上げる索(なわ)を持つ姿で表され、恐ろしい表情は、何人たりとも救わずにはおかないという決意を表しています。 このお不動様に願い事を祈るときには、古来からお護摩というご祈祷が行われます(護摩供祈祷)。これは弘法大師空海が唐(現在の中国)から伝えた密教という教えに基づいたご祈祷で、成田山でも古来から脈々と受け継がれてきました。 お護摩とはお不動様を本尊とし、その前に壇を設け、いろいろな供物をささげ、護摩木という特別な薪をたいて本尊に祈る真言密教の秘法です。お護摩の火はお不動様の智恵を象徴し、薪は煩悩を表しています。僧侶は薪という煩悩を、お不動様の智恵の炎で焼きつくし、人々の願いを清らかな願いとして嵩め、成就される事を祈ります。 |