マルタカシチテン

マルタカ質店

創業85年の実績と安心。
生活・サービス
  • 質屋
エリア
大阪府大阪市北区
最寄り駅
地下鉄堺筋線・谷町線 天神橋筋六丁目駅 11番出口から徒歩約3分
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メッセージ
~店主からのご挨拶~

当店は私の祖父が昭和の初めに開業。

創業から約80年の伝統と歴史があります。

私は、マスコミ関係のサラリーマンを13年勤め、35歳の時に実家の質屋を継ぎました。全く違う世界で学んだことや経験が、質屋という仕事に生かせることができればと、日々試行錯誤しながら仕事をしています。
私がこの仕事をする上で心がけているのは、「優しさ、真面目、誠意」ということです。
これは、人に親切・ていねいに接し、常にお客さんの立場に立って、真摯に、精一杯の誠意と思いやりを持って仕事をするということです。これはもちろん接客だけでなく、品物を取り扱う時、品物を評価して値段をつける時も同じです。これらの積み重ねが、お客さんに安心感と信頼を与えていくことだと思います。
特に女性の方には、安心して来ていただけるように心配りしており、女性のお客様からも「やさしくしていただいて、安心して利用できる」と好評をいただいております。また、販売店におきましては、女性のお客様を中心とした商品構成、接客を心がけております。
扱っているのはブランド品が中心ですが、流行に左右されることない伝統あるブランドのクオリティーや本当のよさをお客様にアピールしていきたいと思っております。
宝石鑑定士の資格を取得しており、商品の最新情報も鋭意取り入れていますので、宝石をはじめ、商品は確かな目で高額査定します。
私の趣味は、読書、自動車、音楽(楽器も少々)、登山、落語、・・・。多彩というか、飽きっぽいというか(笑)。特に自動車は運転も好きですが、クラシックカーが大好きです。とにかく歴史のある古いものが好きなのですね。
ふれあいを大切にしていますので、ぶらりとお話をしに来ていただくだけでも結構です。小さな店ですが誠心誠意の対応をさせていただきますので、ぜひお気軽にお立ち寄り下さい。

マルタカ質店の基本情報

スポット名 マルタカ質店
TEL 06-6371-5757
住所 〒531-0074
大阪府大阪市北区本庄東1丁目12-14
営業日
営業時間:
10:00~19:00
定休日:
日曜日・祝日
HP http://marutaka106.com/
備考 ~店主からのご挨拶~

当店は私の祖父が昭和の初めに開業。

創業から約80年の伝統と歴史があります。

私は、マスコミ関係のサラリーマンを13年勤め、35歳の時に実家の質屋を継ぎました。全く違う世界で学んだことや経験が、質屋という仕事に生かせることができればと、日々試行錯誤しながら仕事をしています。
私がこの仕事をする上で心がけているのは、「優しさ、真面目、誠意」ということです。
これは、人に親切・ていねいに接し、常にお客さんの立場に立って、真摯に、精一杯の誠意と思いやりを持って仕事をするということです。これはもちろん接客だけでなく、品物を取り扱う時、品物を評価して値段をつける時も同じです。これらの積み重ねが、お客さんに安心感と信頼を与えていくことだと思います。
特に女性の方には、安心して来ていただけるように心配りしており、女性のお客様からも「やさしくしていただいて、安心して利用できる」と好評をいただいております。また、販売店におきましては、女性のお客様を中心とした商品構成、接客を心がけております。
扱っているのはブランド品が中心ですが、流行に左右されることない伝統あるブランドのクオリティーや本当のよさをお客様にアピールしていきたいと思っております。
宝石鑑定士の資格を取得しており、商品の最新情報も鋭意取り入れていますので、宝石をはじめ、商品は確かな目で高額査定します。
私の趣味は、読書、自動車、音楽(楽器も少々)、登山、落語、・・・。多彩というか、飽きっぽいというか(笑)。特に自動車は運転も好きですが、クラシックカーが大好きです。とにかく歴史のある古いものが好きなのですね。
ふれあいを大切にしていますので、ぶらりとお話をしに来ていただくだけでも結構です。小さな店ですが誠心誠意の対応をさせていただきますので、ぜひお気軽にお立ち寄り下さい。~質屋って何?~

質屋というのは簡単に言うと

お客様から品物を預り、その品物の価値に見合うだけの金をお貸しする

という仕事です。システムは非常にシンプルで、庶民のための“下町の銀行”です。
この質屋の歴史はかなり古く、約800年前の鎌倉時代までさかのぼります。当時は『土倉(つちくら、どぞう、どくら)』と呼ばれ、預る商品は、武士の刀やよろい、織物、穀物、塩、酒まで及びました。
当時は、社寺や名主、酒屋、米屋などが質屋を兼業しており、これらの商品を火災や泥棒から守るために、土蔵の倉に保管していたため『土倉』と呼ばれていました。
江戸時代に入ると、現在のように『質屋』と呼ばれるようになり、その数も増加。幕府が認可した『質屋株仲間』という組合まで設立されました。現在のように銀行やクレジットなどなかった時代、庶民にとってなくてはならない唯一の金融機関でした。
また、一般の人々からの信頼も厚く、『町役』、つまり自治会長的な役も務めたりしていました。

このように、質屋は古くから社会に深く浸透しており、庶民の生活と切っても切り離せないものとでした。あの井原西鶴も作品の中に質屋をよく取り上げていますし、落語のネタの中にも数多くの質屋が登場し、『質屋蔵』『質屋芝居』など上方落語のネタの題目にまで質屋が使われています。
あの有名な幕末の志士、坂本竜馬の実家も質屋を営んでいましたし、明治時代の偉大な作家・宮沢賢治の実家も岩手県の質屋でした。
質屋の歴史は、庶民の皆様とともに歩んできた歴史で、質屋の底流には、人情や思いやりが深く流れております。

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