シュウキョウホウジンホッカイジ
宗教法人北海寺
納骨堂(空き有り)・永代供養塔(随時契約可)・葬儀場
寺院
- 仏教寺院
- エリア
- 北海道札幌市中央区
- 最寄り駅
- 札幌市交通局地下鉄東西線 バスセンター前駅 6・7番出口から徒歩5分
メッセージ
明治初期に創成川を中心とした市街が出来た頃、題目講的組織が出来ていたらしいが詳細は不明。しかし信徒の中で「サ・」(カクサボシ)新田家(越後見附出身、雑穀問屋)の尽力により明治23年現在地に堂宇を建立、一乗山・北海寺と称し、本山に住職を屈請して日極を迎えた。
後2世日秀は初代日極の師僧唱導院日憶を開山に仰いだ。創設後10年を経る明治33年5月豊平町(現在市内)の大火が豊平川を越えて飛来し、鐘堂を残すすべての堂宇を焼失した。大正13年2世日秀代に漸く現本堂を再建した。
昭和24年3世日照代には梵鐘を再鋳し(音色日本一と報道される)、また納骨堂を建立して戦後復興発展の基を開いた。
第4世小林延明の代に至り札幌市街地は拡大し、人口は増加したが、それに伴ない参詣者も増えたので再三再四増・改築工事をすすめ昭和36年現在の本堂(100坪)、客殿(総二階150坪)、納骨堂(19坪)、庫裡(地上三階、地下1階120坪)の完成をみて寺観は一新された。
後2世日秀は初代日極の師僧唱導院日憶を開山に仰いだ。創設後10年を経る明治33年5月豊平町(現在市内)の大火が豊平川を越えて飛来し、鐘堂を残すすべての堂宇を焼失した。大正13年2世日秀代に漸く現本堂を再建した。
昭和24年3世日照代には梵鐘を再鋳し(音色日本一と報道される)、また納骨堂を建立して戦後復興発展の基を開いた。
第4世小林延明の代に至り札幌市街地は拡大し、人口は増加したが、それに伴ない参詣者も増えたので再三再四増・改築工事をすすめ昭和36年現在の本堂(100坪)、客殿(総二階150坪)、納骨堂(19坪)、庫裡(地上三階、地下1階120坪)の完成をみて寺観は一新された。
宗教法人北海寺の基本情報
スポット名 | 宗教法人北海寺 |
---|---|
TEL | 011-231-8809 |
住所 |
〒060-0053 北海道札幌市中央区南三条東4-1 |
営業日 |
|
HP | https://hokkaiji.jp/ |
駐車場 | あり |
備考 | 明治初期に創成川を中心とした市街が出来た頃、題目講的組織が出来ていたらしいが詳細は不明。しかし信徒の中で「サ・」(カクサボシ)新田家(越後見附出身、雑穀問屋)の尽力により明治23年現在地に堂宇を建立、一乗山・北海寺と称し、本山に住職を屈請して日極を迎えた。 後2世日秀は初代日極の師僧唱導院日憶を開山に仰いだ。創設後10年を経る明治33年5月豊平町(現在市内)の大火が豊平川を越えて飛来し、鐘堂を残すすべての堂宇を焼失した。大正13年2世日秀代に漸く現本堂を再建した。 昭和24年3世日照代には梵鐘を再鋳し(音色日本一と報道される)、また納骨堂を建立して戦後復興発展の基を開いた。 第4世小林延明の代に至り札幌市街地は拡大し、人口は増加したが、それに伴ない参詣者も増えたので再三再四増・改築工事をすすめ昭和36年現在の本堂(100坪)、客殿(総二階150坪)、納骨堂(19坪)、庫裡(地上三階、地下1階120坪)の完成をみて寺観は一新された。【永大供養塔(墓)】 <名 称> 永代供養塔(墓):「えいたいくようとう(えいたいくようぼ)」と称する <場 所> 北海寺本堂横の納骨堂内 <目 的> 納骨希望者の遺骨を永代供養塔に収納し、北海寺が存在する限り半永久的に管理・供養することを目的とする 【客殿 納骨法要施設 「寂光殿」】 当寺では、都心にありながら、静かな安らぎに満ちたこの空間を、「静寂な涅槃の境地から発する智慧の光」を意味する寂光殿(じゃっこうでん)と名づけました。寂光殿は、後継者のいない方にも、変わらぬ安らぎをお約束する安住の場所です。寺と代々の住職が、いわば皆様の後継者となって、皆様ご自身や大切な方を未来にわたってご供養・お守りいたします。 ぜひ一度お問い合わせ・ご相談の上、遠い将来の様々なご心配についてご安心いただき、日々の充実した人生をお過ごしくださいますようお祈りいたします。> |