トベジンジャ
富部神社
本殿は国の重要文化財に指定され、桃山建築の美麗荘厳なる姿を残しております。
神社
- 神社
- エリア
- 愛知県名古屋市南区
- 最寄り駅
- 名鉄名古屋本線 桜駅 出口から徒歩10分
メッセージ
富部神社(とべじんじゃ)は名古屋市南部の笠寺台地に鎮座いたしております。
古代、台地の周辺は海で「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、
『万葉集』の中に
「桜田に鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」
「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」
と詠まれています。
海を広範に眺めることのできる景勝の地であり、
慶長年間、この地に清洲城主松平忠吉公は富部神社を創建いたしました。
桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、
祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車は名古屋市指定有形文化財に指定されています。
約400年にわたり、この地を守り続けてきた富部神社は、現在も変わらぬ四季折々の美しい姿で、
地域の憩いの場として、また地域の守り神として人々の信仰を集めています。
古代、台地の周辺は海で「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、
『万葉集』の中に
「桜田に鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」
「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」
と詠まれています。
海を広範に眺めることのできる景勝の地であり、
慶長年間、この地に清洲城主松平忠吉公は富部神社を創建いたしました。
桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、
祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車は名古屋市指定有形文化財に指定されています。
約400年にわたり、この地を守り続けてきた富部神社は、現在も変わらぬ四季折々の美しい姿で、
地域の憩いの場として、また地域の守り神として人々の信仰を集めています。
富部神社の基本情報
スポット名 | 富部神社 |
---|---|
TEL | 050-3554-5067 |
住所 |
〒457-0014 愛知県名古屋市南区呼続4丁目13-38 |
営業日 |
|
HP | http://www.tobe-shrine.opal.ne.jp |
備考 | 富部神社(とべじんじゃ)は名古屋市南部の笠寺台地に鎮座いたしております。 古代、台地の周辺は海で「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、 『万葉集』の中に 「桜田に鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟 汐干にけらし鶴鳴き渡る」 「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」 と詠まれています。 海を広範に眺めることのできる景勝の地であり、 慶長年間、この地に清洲城主松平忠吉公は富部神社を創建いたしました。 桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、 祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車は名古屋市指定有形文化財に指定されています。 約400年にわたり、この地を守り続けてきた富部神社は、現在も変わらぬ四季折々の美しい姿で、 地域の憩いの場として、また地域の守り神として人々の信仰を集めています。《富部神社について》 【御祭神】 素戔嗚尊(スサノオノミコト) 【御相殿】 田心姫命(タゴリヒメノミコト)・湍津姫命(タギツヒメノミコト)・市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・菊理媛神(ククリヒメノカミ) 【境内社】 居森社・八王子社・金毘羅社・秋葉社・龍王社 【御神徳】 災厄疫病除け・病気平癒・福徳増長 【御由緒】 富部神社は慶長8年(1603)、愛知県津島市に鎮座する津島神社から勧請されたことに始まる。 その後慶長11年(1606)、清洲城主 松平忠吉(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建された。 なお、天保12年(1841)『尾張名所図会』「蛇毒神社」に、当時の境内の様子を詳しく見ることができる。 創建以来、「富部蛇毒神天王」「蛇毒神天王」「蛇毒神社」などと呼ばれていたが、明治に入り現在の「富部神社」と改称され現在に至る。 蛇毒神は牛頭天王(ごずてんのう)の眷属の1神とも、また八王子の1神とも言われ、牛頭天王と同様に素戔嗚尊と同体とされ、疫病退散の神として信仰された。 桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、 祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車(高砂車)は名古屋市指定有形文化財に指定されている。 |