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大高町八幡社
大高町八幡社の御祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫の三柱を奉祀しています。
神社
- 神社
- エリア
- 愛知県名古屋市緑区
- 最寄り駅
- JR東海道本線 大高駅 出口から西へ5分
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メッセージ
祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫。治承 4年(1180)、源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、相模国小林郷丸山に鎮座させ、その後、大高城主の花井備中守がこれを大高に勧請し、現在の鎮座地と、大高城の両地に祀った。大高に祀られた時期は定かではないようだが(鎌倉時代初期・1200年頃とも)、のちに水野和泉守近守が城主となり、その子・大膳らが田地30貫文を寄進している。
大高と家康公といえば、永禄 3年(1560)の桶狭間合戦の直前、まだ松平元康と名乗っていた若き日の頃のこと、兵糧が欠乏していた大高城に家康公は見事に兵糧を運び込むことに成功した、「大高の兵糧入れ」が有名であるが、桶狭間合戦から 1年が過ぎた永禄 4年(1561)、20歳の時に家康公は再び大高の地を訪れており、この八幡社に参詣、祈祷している。家康公はこの後、敵対していた尾張の織田信長と同盟を結び、名も「徳川家康」と改めて天下人への道を進んでいくことになる。又、八幡社はその後も人々の信仰が厚く、今日に至っている。
大高と家康公といえば、永禄 3年(1560)の桶狭間合戦の直前、まだ松平元康と名乗っていた若き日の頃のこと、兵糧が欠乏していた大高城に家康公は見事に兵糧を運び込むことに成功した、「大高の兵糧入れ」が有名であるが、桶狭間合戦から 1年が過ぎた永禄 4年(1561)、20歳の時に家康公は再び大高の地を訪れており、この八幡社に参詣、祈祷している。家康公はこの後、敵対していた尾張の織田信長と同盟を結び、名も「徳川家康」と改めて天下人への道を進んでいくことになる。又、八幡社はその後も人々の信仰が厚く、今日に至っている。
大高町八幡社の基本情報
スポット名 | 大高町八幡社 |
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TEL | 052-621-6012 |
住所 |
〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町字町屋川14番地 |
営業日 |
|
HP | http://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/odakahachiman.html |
駐車場 | あり |
備考 | 祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫。治承 4年(1180)、源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、相模国小林郷丸山に鎮座させ、その後、大高城主の花井備中守がこれを大高に勧請し、現在の鎮座地と、大高城の両地に祀った。大高に祀られた時期は定かではないようだが(鎌倉時代初期・1200年頃とも)、のちに水野和泉守近守が城主となり、その子・大膳らが田地30貫文を寄進している。 大高と家康公といえば、永禄 3年(1560)の桶狭間合戦の直前、まだ松平元康と名乗っていた若き日の頃のこと、兵糧が欠乏していた大高城に家康公は見事に兵糧を運び込むことに成功した、「大高の兵糧入れ」が有名であるが、桶狭間合戦から 1年が過ぎた永禄 4年(1561)、20歳の時に家康公は再び大高の地を訪れており、この八幡社に参詣、祈祷している。家康公はこの後、敵対していた尾張の織田信長と同盟を結び、名も「徳川家康」と改めて天下人への道を進んでいくことになる。又、八幡社はその後も人々の信仰が厚く、今日に至っている。 |