キクジュドウイセタツヤナカホンテン

菊寿堂いせ辰谷中本店

いせ辰は元治元年(1864)創業、江戸千代紙、おもちゃ絵の老舗・版元。
ショッピング
  • 趣味、工芸(その他)
エリア
東京都台東区
最寄り駅
東京地下鉄千代田線 千駄木駅 1番出口から徒歩3分
菊寿堂いせ辰谷中本店に行く前にチェック!
お気に入りに追加
お気に入りを解除
メッセージ
~お店について~

いせ辰は、江戸末期の1864年に千代紙・おもちゃ絵の版元として神田元岩井町(現岩本町)で創業しました。
千代紙とは布地などにある伝統的な文様とか、自然や時代の生活をテーマにした絵機微で、奉書紙に木版手摺りしたものをいいます。きれいな千代紙は姉さまあそびなどで婦女子に愛玩され蒐集されました。おもちゃ絵は子供用の錦絵として現代の絵本のような役割もしました。
江戸千代紙は京都の物と違い、男性的なはっきりとした色使いが特徴で歌舞伎や江戸風俗など題材にして「江戸風情」が強かれています。
千代紙は江戸みやげとして全国にも広く伝わりました。

絵師、彫り師、摺り師という三工程の職人の手を経て一枚の千代紙が出来上がります。いせ辰は創業時から千代紙・おもちゃ絵の専門版元として次々作品を作りましたが、関東大震災と戦災で多くの版木を消失し、一時期は店舗ももてませんでした。
その間に千代紙は子供向けだけと思われていたのか、浮世絵などと違い印刷の技術が進歩していくとともに安手の模様紙に姿を変え本来の姿を失いました。いせ辰は美しい千代紙の復刻を続け、伝承版画の技術で、本来の千代紙の姿を今に伝えています。

いせ辰には千種類にも及ぶ千代紙やおもちゃ絵があり、江戸の粋なデザインを施した和文具、おもちゃ、縁起の張子なども作っています。千代紙初め、伝統的で多色刷りの美しい江戸デザインは、インテリアとして飾っていただければ、古さを感じさせることなく、洋風に浸った現代生活にもマッチしていることがわかるでしょう。

菊寿堂いせ辰谷中本店の基本情報

スポット名 菊寿堂いせ辰谷中本店
TEL 03-3823-1453
住所 〒110-0001
東京都台東区谷中2-18-9
営業日
営業時間:
10:00~18:00
年中無休:
元旦のみ
HP http://www.isetatsu.com/
備考 ~お店について~

いせ辰は、江戸末期の1864年に千代紙・おもちゃ絵の版元として神田元岩井町(現岩本町)で創業しました。
千代紙とは布地などにある伝統的な文様とか、自然や時代の生活をテーマにした絵機微で、奉書紙に木版手摺りしたものをいいます。きれいな千代紙は姉さまあそびなどで婦女子に愛玩され蒐集されました。おもちゃ絵は子供用の錦絵として現代の絵本のような役割もしました。
江戸千代紙は京都の物と違い、男性的なはっきりとした色使いが特徴で歌舞伎や江戸風俗など題材にして「江戸風情」が強かれています。
千代紙は江戸みやげとして全国にも広く伝わりました。

絵師、彫り師、摺り師という三工程の職人の手を経て一枚の千代紙が出来上がります。いせ辰は創業時から千代紙・おもちゃ絵の専門版元として次々作品を作りましたが、関東大震災と戦災で多くの版木を消失し、一時期は店舗ももてませんでした。
その間に千代紙は子供向けだけと思われていたのか、浮世絵などと違い印刷の技術が進歩していくとともに安手の模様紙に姿を変え本来の姿を失いました。いせ辰は美しい千代紙の復刻を続け、伝承版画の技術で、本来の千代紙の姿を今に伝えています。

いせ辰には千種類にも及ぶ千代紙やおもちゃ絵があり、江戸の粋なデザインを施した和文具、おもちゃ、縁起の張子なども作っています。千代紙初め、伝統的で多色刷りの美しい江戸デザインは、インテリアとして飾っていただければ、古さを感じさせることなく、洋風に浸った現代生活にもマッチしていることがわかるでしょう。■いせ辰代々
初代辰五郎は、鷺沼村(習志野市)の農家から江戸日本橋、堀江町の団扇問屋、伊勢屋惣右衛門に奉公し刻苦便励の結果のれん分けをしてもらい、同じ堀江町の団扇河岸に錦絵と団扇制作の問屋を開いたのが元治元年(1864年)。江戸末期の世の中で頂いたのれんを守った。

二代目辰五郎(芳太郎)は江戸、日本橋に育っただけに何事にも自負するところがあり、父とともに苦楽を分け、明治三年(1870年)江戸名所地図に描かれた神田弁慶橋(元岩井町19番地)に店を移し、文明開化に注目すると、築地居留地や開港の横浜外国商館に千代紙細工や錦絵そのほかを売り込み、商売に活路を開き、日本の紙芸を遠く欧州に輸出した。その間、河鍋暁斉、柴田是真という著名浮世絵師との交際も深く、その公私にわたる生活趣味は三代目に引き継がれた。

三代目辰五郎(鐘三郎)は明治十一年生まれの神田っ子。幼児より錦絵蒐集に魅せられ、また歌舞伎好きで、劇聖九代目団十郎、五代目菊五郎その他名優揃いの観劇は欠かしたことがなかった。江戸趣味のこと、芸能に関するものに私生活全てをかけたといってよい。同好の士、清水晴風、淡島寒月、井上和雄、石井研堂等の交遊、錦絵の鑑定に一見識を持っていた。異色の自主出版として石井研堂と共著「錦絵の改印考証」「地本錦絵問屋譜」そして、江戸千代紙代表作の復古的出版「千代紙百種、鶴の巻」「宝船集」がある。初代から引き継がれた江戸千代紙作りに専念するかたわら、二代目を受け千代紙と同じ手法で和紙に江戸風俗を手摺りにしたナプキンを作りドイツ系の商館を通じ欧州に売り込み、店も大いに発展した。しかし大正十二年の関東大震災で、おびただしい紙芸に関する蒐集品をはじめ、命綱である千代紙の版木をことごとく失った。一時は途方にくれたが、父時代の明治維新を思い浮かべ、倅四代目や弟子たちを督励し、遂に約一千種の千代紙版木を復活した。このおかげで江戸千代紙が大東京に残った。

四代目辰五郎(正雄)は明治三十九年生まれ。三代目の長男でチャキチャキの神田っ子。江戸っ子としては三代目になる。父の多趣味を継ぐには時勢が悪く、錦絵や千代紙、また姉さま人形にしても、趣味品となって商売が益々難しくなった。それが第二次世界大戦で、またまた明治維新以上の全財産滅亡の大難に遭った。三度の食事さえことかく始末であった。しかし四代目は庶民の生きる道はきっとあると初代、二代目の昔話を三代目の父より聞かされ、生きる信念を持ち、裸一貫から、幸い疎開してあった千代紙版木をコツコツ復刻していった。昭和十七年(1942年)、今度震災が起こっても地盤は大丈夫なように上野のお山続きの谷中に店を構えた。

現在では五代目にあたる四人の兄妹がそれぞれの役割を担って暖簾を守っている。四代目の遠くから来た方に申し訳ないからという理由で谷中本店だけは年中無休で営業している。
PAGE TOP