コクヘイジ
国平寺
本山は約300年前に建立されたお寺です。
寺院
- 仏教寺院
- エリア
- 東京都東村山市
- 最寄り駅
- 西武新宿線・拝島線 小平駅 から徒歩3分
~国平寺について~
本山は約300年前に建立されたお寺です。
徳川幕府八代将軍の徳川吉宗公(1684~1751年)により建立されたという由来があり、お寺の屋根には徳川家三葉葵の紋様の瓦が今でも残っております。
元々このお寺は、隠居された僧侶が余生を送るため修養した寺院でした。
そして約80年前に朝鮮から日本に渡来した高僧・柳宗黙大禅師は仏縁によりこの小平の地に立ち寄りました。
徳川幕府八代将軍の徳川吉宗公(1684~1751年)により建立されたという由来があり、お寺の屋根には徳川家三葉葵の紋様の瓦が今でも残っております。
元々このお寺は、隠居された僧侶が余生を送るため修養した寺院でした。
そして約80年前に朝鮮から日本に渡来した高僧・柳宗黙大禅師は仏縁によりこの小平の地に立ち寄りました。
~国平寺について~
本山は約300年前に建立されたお寺です。
徳川幕府八代将軍の徳川吉宗公(1684~1751年)により建立されたという由来があり、お寺の屋根には徳川家三葉葵の紋様の瓦が今でも残っております。
元々このお寺は、隠居された僧侶が余生を送るため修養した寺院でした。
そして約80年前に朝鮮から日本に渡来した高僧・柳宗黙大禅師は仏縁によりこの小平の地に立ち寄りました。
荒れ果てた堂塔を目にした柳宗黙大禅師は嘆かれ、此処に、日本から故郷に帰る事が叶わなかった朝鮮の人々の遺骨を集めて供養したいとの思いでこの寺を引き受けられました。
柳宗黙大禅師はその後、日本各地を歩き収骨され、その御霊を慰める為の供養塔も建立されました。
そして今、現代的な墓苑も備え供養を続けています。
徳川幕府八代将軍の徳川吉宗公(1684~1751年)により建立されたという由来があり、お寺の屋根には徳川家三葉葵の紋様の瓦が今でも残っております。
元々このお寺は、隠居された僧侶が余生を送るため修養した寺院でした。
そして約80年前に朝鮮から日本に渡来した高僧・柳宗黙大禅師は仏縁によりこの小平の地に立ち寄りました。
荒れ果てた堂塔を目にした柳宗黙大禅師は嘆かれ、此処に、日本から故郷に帰る事が叶わなかった朝鮮の人々の遺骨を集めて供養したいとの思いでこの寺を引き受けられました。
柳宗黙大禅師はその後、日本各地を歩き収骨され、その御霊を慰める為の供養塔も建立されました。
そして今、現代的な墓苑も備え供養を続けています。
- 住職のご挨拶 -
「寺は亡くなった人の供養のためだけではなく、生きている人のためにもあります。」
国平寺は、故郷の地を踏むことなく亡くなった同胞を供養し、遺族の「恨」を癒すことに勤めて半世紀が経ちました。
国平寺は柳宗黙大禅師が開山しました。大禅師は常々祖国の大切さと民族の和合を説かれました。「寺は亡くなった人の供養のためだけではなく、生きている人のためにもあります。」大禅師は朝鮮半島にルーツを持つ在日同胞たちの心の宿る場としての国平寺のあり方について教えてくださりました。
大禅師の志を受け継がれた尹一輪和尚は、朝鮮と日本の不幸な過去の歴史を再び繰り返さないように、そして両国間の真の友好親善の為に尽くされました。
先々代、先代の志を継ぎ私も仏道に日々励み、精進する所存でございます。
国平寺住職 尹碧巌(ゆんぴょがむ)
国平寺は、故郷の地を踏むことなく亡くなった同胞を供養し、遺族の「恨」を癒すことに勤めて半世紀が経ちました。
国平寺は柳宗黙大禅師が開山しました。大禅師は常々祖国の大切さと民族の和合を説かれました。「寺は亡くなった人の供養のためだけではなく、生きている人のためにもあります。」大禅師は朝鮮半島にルーツを持つ在日同胞たちの心の宿る場としての国平寺のあり方について教えてくださりました。
大禅師の志を受け継がれた尹一輪和尚は、朝鮮と日本の不幸な過去の歴史を再び繰り返さないように、そして両国間の真の友好親善の為に尽くされました。
先々代、先代の志を継ぎ私も仏道に日々励み、精進する所存でございます。
国平寺住職 尹碧巌(ゆんぴょがむ)
国平寺の基本情報
スポット名 | 国平寺 |
---|---|
TEL | 042-342-0801 |
住所 |
〒189-0012 東京都東村山市萩山町1-15-15 |
営業日 |
|
HP | http://www.kokuheiji.jp/ |