ニホンテブクロコウギョウクミアイ
日本手袋工業組合
手袋の歴史をもっと知りたい!
企業・事務所
- 各種組合
- 各種団体事務所
- エリア
- 香川県東かがわ市
- 最寄り駅
- 白鳥大内ICから車で10分
~ごあいさつ 理事長 友國 誠二~
日本の手袋の約9割が東かがわ市を中心とした香川県で生産されていることをご存知でしょうか?恋の逃避行から始まった香川の手袋の歴史は明治時代にさかのぼります。1888年から大阪でメリヤス手袋の縫製を行っていた地元の先達が帰郷し、手袋の製造を始めたことがその発祥。120余年の歴史を持つ世界でも有数の手袋産地です。
長い歴史の中で、多くの会社が立ち上がりました。その核をなすのが日本手袋工業組合です。当組合では、高度な製造技術の保存継承、手袋の知識研修等、製造から販売まで様々な活動を行っております。隣接されている「手袋資料館」では、歴史や製造工程の紹介、また、いろいろな手袋の展示があります。是非ご来館ください。手袋・手袋造に対するイメージも刷新されることと思います。
そして2014年、手袋の新たな可能性を模索するため企業の枠を超えた未来の手袋を考えるプラットフォーム「1888手袋ラボ」が設立されました。ブランド名は「香川手袋」。組合所属メーカーが参画し、垣根を越えて熱い思いで立ち上げたブランドです。今後は、就労者の減少や縫製技術者の高齢化が進む中「ものづくりの火を消さない」「技術の火を消さない」ことを念頭に、後継者育成と産地の技術を活かした「メイドインニッポン」の製品を国内外に提唱することで、製品の信頼度を高め、海外メーカーとの差別化を図り、新たな需要を掘り起こすことを目標としています。
「香川手袋=メイドインニッポン」を掲げることが、技術者の若返りや雇用を促進し、それが地域を活性化し、手袋産地香川が世界に誇れる産地となるよう、業界一丸となって邁進する所存でございます。
長い歴史の中で、多くの会社が立ち上がりました。その核をなすのが日本手袋工業組合です。当組合では、高度な製造技術の保存継承、手袋の知識研修等、製造から販売まで様々な活動を行っております。隣接されている「手袋資料館」では、歴史や製造工程の紹介、また、いろいろな手袋の展示があります。是非ご来館ください。手袋・手袋造に対するイメージも刷新されることと思います。
そして2014年、手袋の新たな可能性を模索するため企業の枠を超えた未来の手袋を考えるプラットフォーム「1888手袋ラボ」が設立されました。ブランド名は「香川手袋」。組合所属メーカーが参画し、垣根を越えて熱い思いで立ち上げたブランドです。今後は、就労者の減少や縫製技術者の高齢化が進む中「ものづくりの火を消さない」「技術の火を消さない」ことを念頭に、後継者育成と産地の技術を活かした「メイドインニッポン」の製品を国内外に提唱することで、製品の信頼度を高め、海外メーカーとの差別化を図り、新たな需要を掘り起こすことを目標としています。
「香川手袋=メイドインニッポン」を掲げることが、技術者の若返りや雇用を促進し、それが地域を活性化し、手袋産地香川が世界に誇れる産地となるよう、業界一丸となって邁進する所存でございます。
~手袋の歴史~
・手袋産業が根ずいた背景
香川、東讃地方は、昔から土地が狭まいうえに水利は悪く、水稲耕作には恵まれた土地とはいえない状況下にあった。そこで、住民は農業だけに頼ることができなくなり、天正年間(約400年前)に製塩業が起こり、寛政年間(約200年前)には、製糖業が起こった。いずれも讃岐三白の一つとして隆昌し、地域の生活を繁栄させたが、明治にはいり、外国産製品の輸入や技術の立ち遅れで衰退してしまった。加えて、白鳥神社に与えられていた朱印地という特権もなくなり、門前町としての賑わいと繁栄が姿を消すこととなった。
このような環境下に、手袋産業にとっての大恩人、両児舜礼と棚次辰吉の両名によってもたらされた手袋製造の仕事は、地域にとって恵みの雨となり、しっかりと根づくこととなった。
・産業として基盤を確立するキッカケ
種をまかれた手袋製造業は、その後も副業として着実に地域に定着するが、産業としての基盤を確立するキッカケは、大正3年に勃発した第一次世界大戦特需であった。
当時、世界の手袋はドイツが生産の中心国であり、素材の生産、供給と完成した手袋の販売機能を担っていたのがイギリスということで、その両国が交戦国になったため、日本へ戦争特需として大量の注文が入った。この特需に応えるため、最盛期1000人を超える社員が働き、大規模な生産能力を備えた大阪手袋(株)、東洋手袋(株)の2社が受け皿になって対応、家内工業からの脱皮の一つのキッカケとなった。
香川、東讃地方は、昔から土地が狭まいうえに水利は悪く、水稲耕作には恵まれた土地とはいえない状況下にあった。そこで、住民は農業だけに頼ることができなくなり、天正年間(約400年前)に製塩業が起こり、寛政年間(約200年前)には、製糖業が起こった。いずれも讃岐三白の一つとして隆昌し、地域の生活を繁栄させたが、明治にはいり、外国産製品の輸入や技術の立ち遅れで衰退してしまった。加えて、白鳥神社に与えられていた朱印地という特権もなくなり、門前町としての賑わいと繁栄が姿を消すこととなった。
このような環境下に、手袋産業にとっての大恩人、両児舜礼と棚次辰吉の両名によってもたらされた手袋製造の仕事は、地域にとって恵みの雨となり、しっかりと根づくこととなった。
・産業として基盤を確立するキッカケ
種をまかれた手袋製造業は、その後も副業として着実に地域に定着するが、産業としての基盤を確立するキッカケは、大正3年に勃発した第一次世界大戦特需であった。
当時、世界の手袋はドイツが生産の中心国であり、素材の生産、供給と完成した手袋の販売機能を担っていたのがイギリスということで、その両国が交戦国になったため、日本へ戦争特需として大量の注文が入った。この特需に応えるため、最盛期1000人を超える社員が働き、大規模な生産能力を備えた大阪手袋(株)、東洋手袋(株)の2社が受け皿になって対応、家内工業からの脱皮の一つのキッカケとなった。
~かしこい手袋選び~
・あなたにふさわしいサイズ選び
ファッショングローブはほんの少し大きめを。スポーツグローブは、ピッタリの大きさをおすすめします。
・用途に応じた素材選び
機能的に優れた材料が数多く使われています。用途に応じてお選びください。
・縫製も大切なチェックポイント
ほころび、目とびのない、しっかり縫製された物を選びましょう。
ファッショングローブはほんの少し大きめを。スポーツグローブは、ピッタリの大きさをおすすめします。
・用途に応じた素材選び
機能的に優れた材料が数多く使われています。用途に応じてお選びください。
・縫製も大切なチェックポイント
ほころび、目とびのない、しっかり縫製された物を選びましょう。
日本手袋工業組合の基本情報
スポット名 | 日本手袋工業組合 |
---|---|
TEL | 0879-25-3208 |
FAX | 0879-24-0838 |
住所 |
〒769-2701 香川県東かがわ市湊1810番地1 |
営業日 |
|
HP | http://www.tebukurokumiai.jp/ |
駐車場 | あり |