カブシキガイシャサンフリード
株式会社サンフリード
甦った幻のド・ロさま麺。最高級の強力粉を使用した昔ながらの腰の強いそうめんです。
土産品・物産
- お土産・特産品
- エリア
- 長崎県長崎市
- 最寄り駅
-
長崎空港から道の駅そとめまで車で120分
JR長崎本線 長崎駅 から長崎バスターミナルまで徒歩で2分
長崎空港からド・ロさま麺販売所まで車で70分
株式会社サンフリードに行く前にチェック!
~メッセージ~
「心からありがとうと感謝される企業」を目指す。
■「食」の美味と安全を、きちんとお届けすること。その先の、かえがえのない人々の「幸せ」のために。
「食」の役割を改めて考えたとき、それはいつも「生きる」ことに直結しています。日々のエネルギー源であることはもちろん、人々のコミュニケーションツールのひとつとしてあるいは、命を育み恩恵を受ける、という自然への敬意をも「食」に見出すことができます。
日本人は古くから、日の出とともに目覚め、雨に癒され、と言う自然の流れに則して時間を重ねてきました。今でこそ贅沢な暮らしにも思えますが、しかし、人が大地に育まれるものであれば、それはごく当たり前の姿。
混迷する21世紀、私たちはそうしたシンプルなリズムを見つめ直し、人と、大地と、食の関係をもう一度考え直す必要があるのかも知れません。
昨今、「食」の不安をかきたてる問題が後を絶ちません。しかし、供給する側の一員として考えれば、“安全”は、いわば当然のこと。あえて“安全”を唱えることなく、自然への感謝を抱きながら、品質を高めていくことが総合食品卸・サンフリードとして最も重要な事だと考えております。また、「食」をとおして、家族の食卓に彩を与え、子供たちの豊かな発育に貢献できれば、それは私たちの何よりの喜びです。「食」にはまだまだ力があるはずです。私たちはそう信じて、これからも「食」の可能性を拓いていきます。
サンフリードが、人と大地をつなぐ架け橋となって、皆様の心に響くサービスを創造・発信してまいります。
代表取締役社長
小田 繁夫
■「食」の美味と安全を、きちんとお届けすること。その先の、かえがえのない人々の「幸せ」のために。
「食」の役割を改めて考えたとき、それはいつも「生きる」ことに直結しています。日々のエネルギー源であることはもちろん、人々のコミュニケーションツールのひとつとしてあるいは、命を育み恩恵を受ける、という自然への敬意をも「食」に見出すことができます。
日本人は古くから、日の出とともに目覚め、雨に癒され、と言う自然の流れに則して時間を重ねてきました。今でこそ贅沢な暮らしにも思えますが、しかし、人が大地に育まれるものであれば、それはごく当たり前の姿。
混迷する21世紀、私たちはそうしたシンプルなリズムを見つめ直し、人と、大地と、食の関係をもう一度考え直す必要があるのかも知れません。
昨今、「食」の不安をかきたてる問題が後を絶ちません。しかし、供給する側の一員として考えれば、“安全”は、いわば当然のこと。あえて“安全”を唱えることなく、自然への感謝を抱きながら、品質を高めていくことが総合食品卸・サンフリードとして最も重要な事だと考えております。また、「食」をとおして、家族の食卓に彩を与え、子供たちの豊かな発育に貢献できれば、それは私たちの何よりの喜びです。「食」にはまだまだ力があるはずです。私たちはそう信じて、これからも「食」の可能性を拓いていきます。
サンフリードが、人と大地をつなぐ架け橋となって、皆様の心に響くサービスを創造・発信してまいります。
代表取締役社長
小田 繁夫
- オリジナル食品 -
ド・ロさまの愛の祈りを食に託して。100年余の歴史を誇る、長崎の手づくり自慢を全国へ。
■出津ド・ロさま麺事業部のご紹介
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明治12年(1879年)黒崎村出津の里(現在の長崎市)に赴任した、フランス人宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父(1840~1914)は、村人たちの暮らしが、あまりにも貧しいのに驚きました。
そこで、生活を向上させ自立する力を身につけさせようと、布教活動のかたわら授産所や救助院を設け、婦女子に故国から小麦粉を取り寄せるなど、私財を投じてパン、マカロニ、ソーメンづくりなどの技術を教えました
しかし、第二次世界大戦の混乱の中で、いつの間にか製造は途絶えてしまいました。人々の記憶から消え去ろうとしていたところ、旧外海町の産業振興策の一環として「ド・ロさまそうめん」を復活させようとの話しがもち上りました。
昭和56年12月、ド・ロ神父(地元の人々は、今も敬愛の念を込めて「ド・ロさま」と呼んでいます)にゆかりの深い、出津修道院のシスターが当時見聞きしていたかすかな記憶を手がかりに、地元の生活改善グループの人たちがド・ロさまそうめんの復活に取組みました。
しかしながら、途絶えてから40年余りがたち、文献もなく教える人も、教えられる人も全くの素人では、まともなソーメンが出来るはずもありませんでした。修道院・生活改善グループ・農協婦人部など5つあったグループも次第に脱落していきました。そして最後に残ったのが旧出津農産加工生産組合でした。
※平成20年12月 (株)サンフリード出津ド・ロさま麺事業部としてその事業を継承することとなりました。私たちは、ド・ロ神父や、これまで製造に携わってこられた全ての方々の想いを大切にし、しっかりとこの歴史、文化を守り続けて行きます。
◇マルク・マリー・ド・ロ神父 Marc Marie de Rotz (1840-1914)
ド・ロ神父はパンやマカロニなどの製法だけでなく施設建設や事業のために私財を惜しみなく投じ、フランスで身につけた農業・印刷・医療・土木・建築・工業・養蚕業などの広範な分野に渡る技術を当時、貧しかった外海(現在の長崎市)の人々に教えました。
私財を投じて地域の経済発展に貢献した神父の深い愛と人間愛に根差した偉業や遺徳は今もなお輝き、「ド・ロさま」と呼ばれ、多くの人々から敬愛されています。
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■出津ド・ロさま麺事業部のご紹介
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明治12年(1879年)黒崎村出津の里(現在の長崎市)に赴任した、フランス人宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父(1840~1914)は、村人たちの暮らしが、あまりにも貧しいのに驚きました。
そこで、生活を向上させ自立する力を身につけさせようと、布教活動のかたわら授産所や救助院を設け、婦女子に故国から小麦粉を取り寄せるなど、私財を投じてパン、マカロニ、ソーメンづくりなどの技術を教えました
しかし、第二次世界大戦の混乱の中で、いつの間にか製造は途絶えてしまいました。人々の記憶から消え去ろうとしていたところ、旧外海町の産業振興策の一環として「ド・ロさまそうめん」を復活させようとの話しがもち上りました。
昭和56年12月、ド・ロ神父(地元の人々は、今も敬愛の念を込めて「ド・ロさま」と呼んでいます)にゆかりの深い、出津修道院のシスターが当時見聞きしていたかすかな記憶を手がかりに、地元の生活改善グループの人たちがド・ロさまそうめんの復活に取組みました。
しかしながら、途絶えてから40年余りがたち、文献もなく教える人も、教えられる人も全くの素人では、まともなソーメンが出来るはずもありませんでした。修道院・生活改善グループ・農協婦人部など5つあったグループも次第に脱落していきました。そして最後に残ったのが旧出津農産加工生産組合でした。
※平成20年12月 (株)サンフリード出津ド・ロさま麺事業部としてその事業を継承することとなりました。私たちは、ド・ロ神父や、これまで製造に携わってこられた全ての方々の想いを大切にし、しっかりとこの歴史、文化を守り続けて行きます。
◇マルク・マリー・ド・ロ神父 Marc Marie de Rotz (1840-1914)
ド・ロ神父はパンやマカロニなどの製法だけでなく施設建設や事業のために私財を惜しみなく投じ、フランスで身につけた農業・印刷・医療・土木・建築・工業・養蚕業などの広範な分野に渡る技術を当時、貧しかった外海(現在の長崎市)の人々に教えました。
私財を投じて地域の経済発展に貢献した神父の深い愛と人間愛に根差した偉業や遺徳は今もなお輝き、「ド・ロさま」と呼ばれ、多くの人々から敬愛されています。
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株式会社サンフリードの基本情報
スポット名 | 株式会社サンフリード |
---|---|
TEL | 095-813-8780 |
FAX | 095-813-8788 |
住所 |
〒851-0134 長崎県長崎市田中町584番地1 |
営業日 |
|
HP | http://www.sunflead.co.jp/ |
駐車場 | あり |