ソウトウゼンシュウ キンセンジ
曹洞禅宗 金川寺
山あいに残る「八尾比丘尼伝説」の地 福島県喜多方市・金川寺
寺院
- 仏教寺院
- エリア
- 福島県喜多方市
- 最寄り駅
-
JR東日本磐越西線 会津若松駅 から車で17分
JR東日本磐越西線 塩川駅 から車で6分
JR東日本磐越西線 喜多方駅 から車で13分
曹洞禅宗 金川寺に行く前にチェック!
金川寺の歴史
塩川町金川に位置する曹洞宗の寺院。『新編会津風土記』によると、若狭国小浜より老いた比丘尼がこの地を訪れ、堂宇を建立したという。比丘尼は八百歳まで生き永らえたと伝えられており、「八百比丘尼」と呼び親しまれている。
寺院には鎌倉時代後期に制作された聖徳太子像が伝わっている。頭髪は角髪に結い、両手で柄香炉を捧げ持ち、袍、袈裟を着て右肩に横被をかけ、正面を向いて立つ。この姿は、太子の事績を年齢順に記した伝記『聖徳太子伝暦』にある、病に伏した父用明天皇の快復を願い祈請する16歳の太子の姿を表したもので、「聖徳太子孝養像」と呼ばれる。太子2歳の時に東を向いて「南無仏」と唱えたときの姿(南無仏太子)と並び、絵画・彫刻ともに造像が盛んに行われた。その表現や構造、カツラ材を用いることから、鎌倉時代後期に在地の仏師によって制作されたものと考えられている。会津ではこの時季から聖徳太子像の造立が活発になるが、その最初期の遺品として挙げられる。
寺院には鎌倉時代後期に制作された聖徳太子像が伝わっている。頭髪は角髪に結い、両手で柄香炉を捧げ持ち、袍、袈裟を着て右肩に横被をかけ、正面を向いて立つ。この姿は、太子の事績を年齢順に記した伝記『聖徳太子伝暦』にある、病に伏した父用明天皇の快復を願い祈請する16歳の太子の姿を表したもので、「聖徳太子孝養像」と呼ばれる。太子2歳の時に東を向いて「南無仏」と唱えたときの姿(南無仏太子)と並び、絵画・彫刻ともに造像が盛んに行われた。その表現や構造、カツラ材を用いることから、鎌倉時代後期に在地の仏師によって制作されたものと考えられている。会津ではこの時季から聖徳太子像の造立が活発になるが、その最初期の遺品として挙げられる。
曹洞禅宗 金川寺の基本情報
スポット名 | 曹洞禅宗 金川寺 |
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TEL | 0241-27-2193 |
住所 |
〒969-3505 福島県喜多方市塩川町金橋字金川2090 |
営業日 |
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